10月21日(土)、台風21号がせまっているのに何のその。滋賀県歴教協の水谷孝信先生のすばらしいガイドで、旧陸軍八
日市飛行場掩体・滋賀県平和記念館・米原市岩脇山機関車避難壕・豊郷小学校旧校舎・旧米原尋常小学校校舎などをめ
ぐってきました。
来年8月の全国大会は、京都と滋賀で取り組みます。このコースは大会の現地見学の一つでもあり、今回はその下見。 「あら~こんなものが残っているのか」「教材に使えそう」「ビビった!コウモリ飛んでるやん」「美味いな、このカス
テラ!」-メチャクチャ楽しいフィールドワークでした!以下そのほんの一部を報告します。
旧陸軍八日市飛行場
八日市の街と名神高速道路八日市ICの間には、敗戦まで陸軍八日市飛行場がありました。この飛行場は国内初の民間飛行場“沖野ヶ原飛行場”を前身として、大正10年に近畿地方初の陸軍飛行場として整備・拡張されました。
近くの布引丘陵には、飛行機を米軍の空襲から避難させるための掩体壕が2つ残っています。
岩脇山機関車避難壕
岩脇は「いをき」と読むようです。機関車を空襲から守るために
と、戦争末期に2本の壕を掘った跡が残っていました。1本は貫通
し、もう一本は途中で放置されたようです。危険な工事には朝鮮人
労働者が酷使されました。なかに入ったら、コウモリがびっくりし
て乱舞していました。
彦根市旧葉枝見小学校奉安殿
奉安殿とは、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御
真影)と教育勅語を納めていた建物です。滋賀県下にはい
まも15の奉安殿が残っているそうで、これはそのうちの一
つ。
旧豊郷小学校
10数年前、校舎の解体をめぐって大問題になっていた
ヴォーリーズ設計の旧校舎が豊郷町の教育委員会や図書館
に生まれ変わっていました。最近は京都アニメーション制
作の「けいおん」に出てくる高校がこの校舎とよく似てい
るということで、アニメファンの聖地になっているとか。1937年に巨額の私財を提供した地元出身の実業家・古川
鉄治郞もびっくりしているのでは。
旧豊郷小学校の階段
階段も手すりも窓も凝っています。ウサギと亀のオブジェもかわいい!
旧豊郷小学校の講堂
少し暗いですが、檀上の講堂正面には奉安庫があります。いまはも
う開けられることはありませんが、来年のフィールドワーク本番で
は扉を開けてもらえるように交渉中です。
滋賀県平和祈念館
開館5周年として「戦時のくらし モノがたり」という企画展を見学
しました。地域のお寺の梵鐘が金属不足を補うために供出されたと
きの写真が展示されていました。安楽寺の梵鐘は溶解を免れ、戻っ
てきましたが、成分検査のために開けられた穴が残っています。
供出のために集め
られた梵鐘です。
帰国記念「平和の光」像
北朝鮮への帰国事業が1950代~80年代にかけて取り組まれ
ました。この像は1960年に在日コリアン(朝鮮総連)が寄
贈したもので、旧米原小学校跡にいまも残っています。中
央に先生がいて、右が日本人、左が朝鮮人の子ども。帰国
事業については、吉永小百合主演『キューポラのある街』
でもとりあげられています。
高宮町ユクリ墓地の廃兵器
高宮町から出征し戦病死した方12名の墓標を並べた墓地
に、日露戦争で廃兵器となった機雷と砲弾が設置されてい
ました。1924(大正13)年に地元の在郷軍人会が軍部に申
請して譲り受けたようです。同じ頃、神社や小学校の校長
や村長たちが廃兵器を申請して、境内や学校や忠魂碑のそ
ばに設置したようで、ここもその一つです。この丸いのは
機雷です。
愛知川小学校山川原分校跡の「平和塔」
もともとは「宮城遥拝所」の文字を刻んで昭和18年12月8日
に建てられました。戦後、昭和22年5月3日に同じ塔に「平
和塔」と刻みました。
ラコリーナ近江八幡(たねやグループ)
フィールドワークが終わって、ラコリーナでひと休み。バームクー
ヘンが有名ですが、長蛇の列。でも生どらやきも八幡カステラもメ
チャクチャ美味しかった!
水谷孝信先生のひと言
戦争遺跡や遺物を見て「戦争があった」だけで終わらせずに、そこから何を学ぶのかが大切なのです!
水谷先生とその著書