新年を迎えて

京都歴教協 会長 勝村 誠

 あまりおめでたい知らせもない昨今ですが、あけましておめでとうございます。

 さて、2022年の春に高校に入学する生徒から「歴史総合」が必履修となり、みなが日本史と世界史を融合した近現代史を学ぶことになります。2025年に実施される大学入学共通テストの出題科目にも「歴史総合」が加わるため、日本史のみ・世界史のみでは受験できなくなります。すでに公開されている共通テストのサンプル問題を見ると、たとえば現代社会における普遍的価値である「自由」概念について、①マーチン・ルーサー・キング牧師の1963年の演説、②平塚らいてうの「元祖、女性は太陽であった」(1911年)、③フランス人権宣言(1789年)、④ガンジーの1942年の演説という時間も空間もかけ離れた4つの史料を読み比べて正答を導かなければならない問題が出題されており、人類史の大きな流れの把握、史料に登場する概念の理解、総合的な思考力・判断力が求められる出題になっています。おそらく、高校「歴史総合」のみならず、小中高大の校種を問わず歴史・地理そして人文社会科学の教育がそのような方向に向かっていくのだろうと思われます。

 このような流れそのものは、すべての子ども・青少年らとともに自ら歴史を学び歴史の創造者にならんとする教育創造を目指している私たち歴教協のメンバーにとって、ますますの自己研鑽とチャレンジングな教育実践が求められる、そんな時代の到来を告げているのでしょう。しかしながら一方で、2021年度から使用されている中学歴史教科書の採択において、右派教科書の採択率が激減し、新規参入した山川出版社の教科書に「従軍慰安婦」の記述が登場したことを受け、日本維新の会の馬場信幸議員を急先鋒として政治的介入がなされたことも記憶に新しいところです。

 このたび政治的介入を受けた出版社が、文言はいろいろですけれど、結果的に字句修正を受け入れたことは重大な問題です。このような政治権力による教育への介入に対しては、見逃すこと無く毅然と対応しつつ、私たちは現場で子ども・青少年らとともに、豊かな思考力と未来を見通す力を磨いていけるようますます努力していきましょう。

近畿ブロック研究集会 1月15日

今回の近畿ブロック研究集会(略して、近ブロ)参加者は最大31名で、完全オンライン開催だったので近畿圏以外からも参加者があったようです。しかし、京都は私学の中学入試と日程が重なってしまったこともあり、参加者はわずか2名となってしまいました。近ブロは近畿府県支部の持ち回り開催ですので、京都で開催する際には他府県の入試日程に充分注意しなければ・・・。

<概 要>

第1部 授業研究

 

第2部 テーマ討論

11:0012:00

12:00

12:55

13:30

14:30

14:45

16:05

16:1517:00

授業公開

ビデオ視聴

休憩

授業者報告

研究協議

休憩

パネルディスカッション

 

休憩

質疑 討論

第1部 授業研究

和井田祐司(大阪暁光高校)

と向き合うーアイヒマン裁判考」〔2年生世界史B〕

和井田先生は、これまでの世界史Bの授業において、下記のような内容でナチス・ドイツに関する学習を積み上げて来られています。

公開された授業は、この⑥になります。授業者は、「読む・聞く・書く」を必ず授業に入れるようにして、口頭や通信を使って討論できるようにされているそうです。本時では、授業の始めにパレスチナ問題に関する感想交流をしてから本時のテーマが提示されました。パレスチナ問題について通信に載った生徒の感想では、イスラエルに対しては、“自分たちがナチスから迫害されたのと同じようなことをパレスチナ人にしている”パレスチナ人に対しては“かわいそう”といった捉え方が多く見受けられました。

 本時の狙いとして、以下の3点をあげ、これに沿って授業が進められました。

①ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をどの段階であれば止めることができたのか考え、

表現する。

  ②アイヒマン裁判を題材に、アイヒマンにふさわしい判決・量刑を考える。

  ③これまでの学習を振り返り、<ナチス・ドイツと「悪」>を論題に、考えを表現することが

   できる。

授業で配られた通信には、「アイヒマンの逮捕から裁判へ」「アイヒマンの証言」「アイヒマン・ナチス略年表」などの資料が載せられ、“アイヒマンはどのような性格だろう?”“裁判でアイヒマンが語りそうなことは?”

“イスラエルは、なぜアイヒマンを国際裁判に送らなかったのだろう?”“あなたが裁判官だったら・・・アイヒマンは<無罪?・有罪?>有罪であれば、ふさわしい量刑は?(理由も)”といった問いが載せられており、生徒に答えを書かせるようになっていました。また、その後で、ハンナ・アーレントの紹介と“判事は次のように被告の呼びかけるべきであった(アーレントの考え)”を資料として載せ、“「ナチス・ドイツと<悪>のタイトルで、論作文を書こう”としてプリント半分に生徒が書き込めるようになっています。

 ①の狙いに関しては、10の段階を提示して、どの段階だったら虐殺が止められたか、その理由は何か、誰が止める可能性があったかを考えさせています。多くの生徒が考えたのは「19331月ヒトラー政権成立・3月全権委任法成立の前」でした。“誰が”について、授業者は「ナチスの幹部・ユダヤ人の有力者・国民の声」をキーパーソンと予測されていましたが、生徒は、ヒトラーの周りの人やナチス幹部、ユダヤ人、ユダヤ人を支援するドイツ人、ヒトラーのライバル、有権者などの答えを挙げていました。

 ②に関して、アイヒマンの性格については、“頭が切れる”“人を殺すことに抵抗がない”“上に従順”“自己中心”“クール”など、また、裁判で言いそうなことは、“指示されたことをしただけ”“悪いことをしたとは思わない”などで、生徒は実際のアイヒマン像に近い人物予想をしていたと授業者は分析されています。

 「アイヒマンは有罪か無罪か」という問いに対しては、授業者は、「生徒は感性的には無罪ではないと考えるだろう」予測されていました。結果は、生徒の多くは有罪という意見でしたが、3分の1の生徒は無罪と答えています。その理由はおおよそ「命令や法律に従って任務をこなしただけ、命令をしただけで直接殺してはいない、だから有罪にはできない。」というものでした。有罪と考えた生徒の理由は「直接手は下していなくても虐殺には関わっている、逃げたということは罪に意識があったから、終身刑、懲役刑にする。」死刑という意見もありました。

最後の論作文では、生徒たちはさまざまな切り口から「悪」について考えています。アーレントの言う「服従と支持は同じ」についても賛成意見も異論も出しています。アイヒマンのような「無思考性」の人はたくさんおり、現代にも当てはまるのではないかと考える生徒もいます。ナチス=悪と単純に捉えるのではなく、「悪」とは何か、さまざまな悪があるのではないか、時代や状況になどによっても変わってくるのではないか、ネット社会の現代にも「悪」のような何かがいくつもできているのではないか等々、様々な掘り下げが成されていました。

 アイヒマン裁判を素材にして、何も考えず指示されたことに従っただけという無思考性は「悪」なのか、「政治においては服従と支持は同じだ」と言えるのか―「戦争責任と個人」の問題を考えさせる授業だったと思います。

第2部 テーマ討論

パネルディスカッション 「主権者を育てる社会科教育を創る

あらためて小・中・高の連携を求めてー」

パネラー:小学校      川本治雄 (滋賀歴教協、大学名誉教授) 

中学校      岩本賢治 (兵庫歴教協、中学校および大学非常勤講師)

高等学校     井ノ口貴史 (大阪歴教協、大学非常勤講師)  

コーディネーター 浅井義弘  (大阪歴教協事務局長)

小学校

 「小学校社会科に求められているもの」のテーマで滋賀歴教協の川本治雄さんからの報告がありました。小学校の社会科教育は、中学校や高校での社会科教育の準備と捉えるのではなく、小学生の認識の発達に見合った独自の学び・課題があるとして、いくつかの提起がなされました。

 現在、学習指導要領をテコに推進されようとしている「協働的な学び」はパターン化しスタンダード化が推進され、ICT活用のGIGAスクール構想による「個別最適な学び」は、学びの個別化、教えの個別化による学校教育の解体へと進むといった課題がある。これら「令和の日本型学校教育」は、人格形成ではなく、人材育成を目的として、コロナ禍を利用するかのように展開されようとしていると指摘されました。

 では、私たちが目ざす小学校社会科における「基礎づくり」とは何か、提起されている内容のキーワードは「地域」でした。「基本的には体験を通した新たな事実を獲得する過程で育てられ、学びのエネルギーを引き出すものとなる」と述べられています。この主たる学習の場面は「地域」であると言えるでしょう。「地域や子どもの生活に沿うような教材を創造し、学習内容にふさわしい教育方法を選択する自由を確保する」と提起されています。そのためには、過去の優れた実践から学ぶようにつとめなければならないとされ、具体例として奈良の石橋さんの「地域の子どもを地域の中で育てる姿勢」と奈良の松房さんの「授業における子どもの姿」の二つの実践が挙げられています。

 さらに、子どもの側に立った教育実践の創造の視点として、以下の4点が挙げられています。

①子どもや地域の実態(現実)からカリキュラムを作り上げること

②教育内容・教育方法の選択の自由を確保すること

③知的好奇心の高まりや学ぶ喜びの実践を重視すること

④豊かな科学的なデータに基づく教材研究の必要性。

 ここからは私見です。小学校の現場では、一人の教師が学級担任と多くの教科を担当しています。そのため、教科内容を深く研究したり、学習指導要領などで提起される事項について批判的に検討する状況にはないのが現実です。そのため、よりパターン化しやすく形だけを取り入れてしまうようなケースも多くなるのではないかと考えられます。

指導書を見ながらその通りに教えてそれで良しとしている先生たちが増えているのが小学校の現状です。しかし、それはここで提起されているような実践を否定しているわけでは決してないのです。現場の、特に若い先生たちは、教師集団で子どもたちと共に教材を創り実践することを「経験したことがない」のです。地域に入り、教材研究を自主的に行って、子どもたちに合った教材を創る楽しさを「知らない」のです。

 だから、どうすればよいのか。地域に目を向け、教材を創造する「体験」をしてもらい、「よかった」と感じてもらう機会を少しでも多く作ることが今の課題なのではないか、報告を聞きながらそう思いました。

中学校

パネリストの岩本先生が提起されたことは次の3つである。

①競争のための知識から協同するための知識(合意知)へ

②「ようす」(事実認識)、「わけ」(関係認識)だけでなく、「いみ」(価値認識)を問う授業へ

③学問の系統で分けられた「分科社会科」から現代社会の諸課題を考える「総合社会科」へ

 ①については、正解のない社会矛盾などを授業であえて取り上げることで、人と人とを結合し、協同を生み出していく。そして、そのことが他者との関係性として作られる社会の主体としての力を獲得し、自己実現につながるとのこと。

 ②については、授業の最後に生徒が授業内容の振り返りをする際に、学んだ知識をまとめるだけでなく、学んだ知識の価値や意味をこそ振り返らせるべきだとのこと。

 ③については、高校新科目の導入をきっかけにして、問題解決学習を中心にした単元学習への転換が可能になり、小中高12年間を通した総合社会科への展望が開けるのではないかとのことでした。

高校

 パネリストの井ノ口先生は、「歴史総合」の教科書を分析した結果、ほとんどの教科書が実際の授業回数ではこなせない分量となっていることで、18歳で選挙権を持つ高校生が本当に必要な21世紀世界の歴史を学ばないままになってしまう可能性を訴えた。そして、それを解決する手段として、現代的な諸課題からバックキャスティングして歴史を学ぶ授業の作成を提起された。

<参加者の感想>

◆羽田 純一(元長岡京市立小学校教員)

 今回は、分科会がなくなり、来年度からの高校社会科の科目改変に焦点が当たった研究集会のように感じたので、元小学校教師にとっては、ちょっと取っ付きにくいかなと躊躇しながらの参加でした。おまけに、Zoomによるオンライン集会でもありましたので・・・。でも、高校の授業研究が録画で見られるということを楽しみに参加しました。

肝心の授業の録画がZoomを通してのユーチューブ視聴だったので、声がとぎれてほとんど聞き取れず残念でした。直接ユーチューブを視聴すればよかったと後悔しました。それでも、事前に生徒の意見や通信を送ってもらえたのでプリントアウトをしてそれを見ながら視聴することが出来ました。夏の全国大会もそうでしたが、事前に資料を送ってもらい目を通すことができるのは、オンラインの良さだと改めて思いました。コロナ禍が収束しても、この資料事前配布は続けるべきだと思います(準備をする方は、手間が大変だと思いますが・・・)。

 授業は、生徒の高校生らしい考えの深まりもあり、良かったと思います。授業者は、「アーレントが指摘する“悪の凡庸さ”“無思考性”“複数性の抹殺”は、しばしば現在の社会に立ち現れる現象である。・・・これらを克服できる市民に育ってほしいという願いを持って社会科の教員をしている」と書かれています。生徒の意見の中には、ネットによる同調圧力やバッシング、“無思考人間”の存在や若者の投票率の低下と政治の問題など、現代に目を向けて考えている傾向も見られました。

 2時間連続授業ということで、内容が多すぎないかとも思いましたが、高校生にはこなせるのかもしれません。

 アイヒマンの性格を想像し、自分が裁判官なら有罪にするか無罪にするかを論じさせる授業展開については、有罪か無罪かの判断に焦点が当たってしまい、「反ユダヤ主義者」でも「熱狂的なナチス支持者」でもなかったアイヒマンがなぜ大量虐殺を指揮したのかという課題の追及が薄まるのではないだろうかと、ちょっと気になりました。しかし、最後にアーレントの考えを取り上げ、「ただ命令や法律に従って行動しただけ」という“無思考性”をどう考えるのか、「戦争責任と個人」の問題を考えさせるための具体的な事例としてアイヒマンを取り上げたのだろうと解釈しました。

◆町田 研一(立命館宇治高校)

 勤務校の入試日と重なってしまったので、パネルディスカッションからの参加となってしまいました。その短い時間の中でたいへん興味深かったのは、小中高いずれのパネリストも「目の前の社会」との関連を重視した学習を提起している点です。川本先生は「地域」、岩本先生は「現代社会の諸課題と子どもたちの生活意識をふまえた思考活動を結びつける」、井ノ口先生は「有権者が政治的判断を求められる現代的な諸課題」とそれぞれ表現は違いますが、ほぼ同じような問題意識を持っています。

 ここで私は今年度『歴史地理教育』2月号の冒頭で目にした中島晃延先生(福岡歴教協)の記述を思い出しました。そこでは、子どもたちが「歴史の授業で楽しいと思う時」を「身近な教材で学びがつながり、考えが広がる、子どもが主役の授業」と書かれていました。

 まさに今回のパネルディスカッションとも通じる分析で、先生方の提起に改めて共感しました。