2020年度総会(2021年3月20日開催)

 今年度は、コロナが収束していない中での総会でした。例年のような1泊2日の総会・研究大会ではなく、京都市内のキャンパスプラザ(下左の写真)を会場にして、総会と講演だけの半日のスケジュールでの開催となりました。 

  会場には13名の方が出席され、オンラインでは6名の方が出席され、合計19名の参加でした。久しぶりに参加して頂けた方々もおられ、懐かしさも感じられた会でした。会長挨拶の後、井口和起先生に講演を頂き、質疑応答の後、休憩をはさんで総会を開き、総括・方針案、会計報告、新役員が承認されました。

講演「歴史研究・歴史教育と地域」

-福知山公立大学での5年間を振り返って-

講師 井口 和起 先生

福知山公立大学 学長

 講演では、福知山公立大学での取り組みを中心に話されました。

福知山公立大学では「地域協同型教育研究(地域協同型“実践”教育)」に取り組まれています。それぞれに選択したテーマにより担当教員とともに 地域に入り住民と交流し、共に地域の課題について考え、解決の方向性を検討する授業です。その内容は、

①学びを体験する②学びを広げる③学びを深める④学びをまとめる、というものです。

 開校以来、多方面で模索が続けられました。「協同」のためには、地域で受け入れてくれる人の存在が不可欠であり、その人たちの選定やその人たちとの協議が必要でした。

 教員の側では、専門分野から「地域に入ることは無意味」と考える人や、地域に入ることに習熟していない人の問題がありました。学生の側にも、この大学の特性を求めて入学してきた学生ばかりではなく、戸惑いや多様な反応(満足から不満足まで)が返ってきました。高校での学習や体験も多様さの問題もありました。こうした中で、5年間の活動が続けてこられました。

 地域社会を理解し、課題をつかみその解決を考える前提として、地域の魅力の再発見(文化、歴史…など)、地域の歴史を知ることも必要だということで、課題理解のための歴史学習として、「大江の水害」について調べ学習にとりくまれてきました。歴史調べの地域史教材として、市町村史があります。福知山市史 三和町史 夜久野町史 大江村誌をとりあげて話されました。編集も内容も文体もそれぞれにきわめて多様で、扱う時代もさまざま(集団討議or独立論文の合体、地域住民中心の編纂・執筆型or地域外歴史研究者中心型など)です。

 市民の研究との学び会いにも取り組んでおられます。「まちかどキャンパス」をつくり、読書会が始められました。本屋さんが書いた歴史関連の本「麒麟を呼ぶ-光秀さんに学ぶ福知山のまちづくり」、国土交通省に勤めていた方の書かれた「暮らししを支える“道”物語」の紹介や、福知山史談会の研究、歴教協会員の田中仁さんや吉田武彦さんの地域での活動も紹介されました。

 まとめとして、「何を学び学ばせるのか」について、先ず「生徒の知的好奇心」がすべての前提であると述べられました。歴史事象への興味・関心→体験学習から方法の学びへ→基礎的知識の蓄積から体系化へという道筋が示され、これが福知山公立大学が目指しておられる教育だと理解できました。また、地域を知ることと、歴史を調べ知ることの「重なり合い」はどのようになるのか、他地域史との比較も果てしなくひろがる、といった課題も示されました。

 参加者による質疑応答の中では、福知山は、旧日本陸軍20連隊から自衛隊へと一度も軍隊がなくなったことがない。旧陸軍や自衛隊は、住民の中に深く根付いてきたと言うことが話題になりました。

参加者の感想

田中 仁

 井口先生、お忙しい中をありがとうございました。福市山公立大学での「地域共同型」教育とは何をめざすものかという意味、あるいはこれを実践していく中での大学の苦労がよくわかりました。この積み重ねの成果である学生さんたちの今年度が初めてという卒業研究の内容がどのようなものか、大変興味のあるところです。

 福知山市史の話が出ましたが、これと並んで福高在職時代から感じていたこととして、福知山は人口規模にふさわしい歴史資料館的な施設が乏しいということがあります。地域と教育を考える場合、学校(あるいは大学)と地域の資料館(博物館)との連携が非常に重要だと思います。公立大が核となって今後こういう面での充実が実現してゆくことを期待しております。

大学での地域歴史研究の様子を聞いて               佐藤 昂樹

 貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。中学校、高校と公民、総合学習を教えているのですが、生徒の歴史認識を聞くと現代の政治に大きく左右された見方をしているので、どのように「時間・空間」の差=普遍的なもの、そうでないものを理解させるか少し悩んでいる最中です。地域の研究の様子を聞いて、専門分野でない教員や市井の発表者もともに意識しながら構築していかないといけないなあと再認識しました。この講話をきっかけに、教育実践に新たな活路が見いだせたら良いなあと感じました。(今、興味があるのは、学校創設に関わる伝道師と生徒の関わりといったところです。明治~昭和・戦後)

布川 庸子

 行ったことはありませんが、従兄が夜久野に養子に行き、福知山高校に勤めていました。割合早く亡くなったのです。そんなんで、何か福知山に興味を持ちました。

 又、洪水の話が出ましたが、学大一回性の時、由良川が氾らんし、学生が帰ったので、休校になりました。この年は水害の多い年でした。

 又、福知山も宿舎を提供したとありましたが、伏見も日中戦争がはじまった頃、宿を提供したと、私の母の書いたもの(私の育児日誌)で分かります。

 町史などの書く人の姿勢、歴史認識の在り方が、影響しているということが面白かったです。城陽史誌など奥田修三先生が頑張ってられましたね。

 京田辺の歴史は伯父が書いていますが、表紙を手伝いました。(学生のときです。)

中妻 雅彦

井口さんの福知山公立大学での実践をもとにした講演は興味深いものでした。特に、市町村史誌の内容の違いには、いくつかの地方自治体の史誌を読んで「あれっ」と感じていましたが、井口さんの話で改めて、自治体史誌の内容を考えることができました。今年、卒業生」が出たということなので、卒業研究や地域とのつながりについて、お話をうかがう機会をつくってもらえたらと感じました。

井口先生、貴重なお話をありがとうございました          足立 恭子

 井口先生の「歴史研究、歴史教育と地域」の講演、とても興味があり面白かったです。

 私は福知山市出身ですが、郷土をはなれて、もう60年近くなります。しかし福知山市の近代史は、明治以降、戦争と最も結びついて来ました。先生の話で「福知山は自衛隊と市民との結びつきがとても強い自治体」との分析が、そのとおりと思います。戦時中から敗戦後も、市民と旧二十連隊との結びつきは強いものがあり、旧遊かくであった猪崎は、戦前、戦中は兵士たちの慰安所であり、戦後も、戦争未亡人たちが、くらしのために赤線で働いた場所です。

 こうした20世紀の歴史が、福知山市の近代史に記録されるよう、井口先生のお力添えで、地域史研究の皆さん方の努力が実るよう願っています。

 私は宇治市が今では郷土のようになりましたが、改めて、今住んでいる所での地域の調査、聞き取り、人々の交流が大切だと思っています。

総会に参加して                        後藤 貴三恵

 2020年度は、コロナ禍で緊急事態宣言中の時期もあり、ハイブリッドで例会をおこなったこともありました。総会もこの形でおこない、キャンパスプラザ京都の会場と会員を結び、会場13名、zoom6名で19名の参加でした。会場では、久しぶりに再会できた会員の元気なお姿にお互い顔がほころび、再会を喜び合いました。初参加(新入会)の方もいらっしゃって、直接お会いできるのはやっぱりいいなとあらためて感じました。

 講師の井口和起先生は、京都と福知山を行き来されていらっしゃいますが、福知山という地理的位置だからこその大学づくりをめざして、日々ご奮闘なさっている様子がよくわかりました。

 コロナ禍がまだ継続中ですが、会場に来られない場合でもzoomでの参加が可能なので、例会への参加がしやすくなっています。2021年度の例会も楽しみにしています。

福知山公立大学と井口先生                                                                  吉田 武彦

 2016年4月から福知山公立大学が開校し、井口先生が学長として赴任された。そして、5年が経過した。当時あった創成大学を福知山市の大学とすることに保守革新を問わず多くの批判があったことは事実だ。今それはまず聞かれない。

 開校以来、地元紙の両丹日日新聞に福知山市長と並んで多くの記事が掲載されているのは福知山公立大学のことである。当初は公立大学が連携の協定を結んだというものが多く、そのたびに写真入りでよく登場されていた。しかし今は大学生が福知山の各地の活動に参加し、地域の人たちと関わっている内容が多い。近年は大学生自身が自分の故郷の紹介を写真付きで紹介したりもしている。これがいい。というのも、設置された新たな学科が「地域経営学部」であり、将来地方公務員や地域づくりなどに関わりたいという地方都市出身の学生が多い。地域への学習に対しても、一定の目的意識を持つ生徒が多く、自分の町のいいところを紹介している。

  福知山市三和地域との関わりでは、地域経営学部一回生20人ほどの学生が1年間、隔週1日(現在はコロナ禍で半日)三和地域の実情を伺い、農家・企業・古民家などを見学され、調査研究し、改善策を提起されたりしている。その中で過疎化が進む三和地域の教育として、私の勤務する三和学園にも来ていただき、「地域を学び、自分の生き方を考え、三和地域を創造する」三和創造学習を生徒の地域調べをした作品や実物を使い、私が直接伝えている。中学生との交流は一緒に給食を食べ、グループで大学生にリードしてもらいお互いに質問しあう。三和学園の中学生(7~9年生)は大学生と交流し刺激を得る。2020年度は9年生が考えた三和地域ミニツアーを交流でプレゼンした。2019年度三和フェスティバルでは中学生はフェスティバルのスタッフの一員として参加するが、大学生は店を構えてブースで商品販売をし、三和中学生がその手伝いをした。また、三和学園の地域に学ぶ講座として、1年間に2回、中学生に地域づくりに関わる講演をしているが、公立大学の先生からお話をして頂くこともあった。福知山公立大学は三和学園では中学生の三和創造学習を支えてもらっている。

  井口先生は個人としても、井口学長塾という市民向けの学習会も企画され続けられてきた。第Ⅰ期は岩波新書シリーズ日本近現代史全10巻を読み、第Ⅱ期は沖縄と東アジアから見た日本の近現代史、第Ⅲ期は「歴史とは何か」「歴史を学ぶ意義は」という問題とそれを念頭に福知山市やその周辺の地域の近現代史を学ぶ、第Ⅳ期はコロナ禍でオンラインも活用しながら、「福知山町の近代史」として惇明小学校所蔵の資料を使い、住民が「軍都」を初めて実体験した日露戦争時の福知山町を学習した。

 また、公立大学には社会人大学講座も作られ、寄席講座・漢字講座などの講座が設けられている。高齢の方を中心に学びのすそ野が大きく拡がった。私自身も歴史講座や写真講座、ときどき自然科学講座にも参加している。最近、小学校の学習が主になる中、中学校社会科の範囲から小学校1年~6年生活科・社会科へ、さらに小学校理科・国語科の学習内容へと広がってきているが、それらに対応して社会人大学講座で学んでいる。

  このように、井口先生は福知山公立大学での初代学長として福知山に多くの学びの種を蒔かれたと、自分との関わりの一端だけでも改めてそう思う。この種が芽を出し果実をつけるまでに他の地域よりも時間がかかるかもしれないが。

 今回のお話にもあったように市町村史は多様であるが、福知山市史には昭和以降がなく、発刊されていない。そのとき、地域の歴史を何を使って調べるのかということになる。私の前任校は川口中学校だが、旧福知山市の周辺地域であるため、大江町・三和町・夜久野町のような町史もつくられていない。ごく限定された地域や内容で自費出版された小冊子があり、小学校の創立百周年記念誌のようなものに地域の歴史を盛り込まれたりしている。

育友会(PTA)だよりに地域の歴史が連載されている小学校もあった。地元の有志で地域の歴史をまとめる動きがあったが、地域の歴史を知る人たちが高齢化し継承ができず、埋もれてゆく地域の歴史・伝承・技術・モノが目の前にある。過疎の地域を知るほどに、これを見過ごしていいのかと思う。

 地方都市の最高学府の学長に井口先生がおられること自体が、地域の歴史教育に、精神的支柱としても、インパクトを与えてくれています。大学構内でも「怪物」の異名を取る先生には、こういう福知山だからこそ何らかの形でずっと関わり、魔力で影響を与え続けて頂きたいと思っております。

大学教育の見方が変わった                    羽田 純一

 井口先生が福知山公立大学の学長になられてから5年。大学の名前は聞いていましたが、どんな教育をされて

いるかを聞いたのは初めてでした。今回の講演を、大変興味深く聴かせて頂きました。

大学の授業について私が持っていたイメージは、教室や研究室の中で講義を聞くというものでした。このイメージが最初にこわれたのは、稲垣裕史さんが例会で何度か報告してくれた学生との双方向の授業でした。大学でも、こんな授業をする先生がいるのだと、小学校での取り組みとの共通点を見つけて、大学の授業がとても身近に感じられました。

 今回の井口先生の講演を聴き、学生が地域に入り、調べ、学んでいくという学習を個人の実践ではなく大学として取り組んでおられることに驚きました。学びの質はもちろん全然違いますが、小学校で大事にして来た学習方法との共通点をここでも見いだすことができました。京都にこんな大学があったのだ!と、福知山公立大学への関心が、俄然高まってきた感じがします。

 以前、和歌山の横出先生が、生徒に地域を調べて学ばせるという実践を報告されて、高校教育の見方が変わったことがありました。今回で、私の大学教育への見方も変えさせられました。