2月例会

緊急事態宣言下オンラインのみで実施した例会となりましたが、12名の参加(うち2名は初参加!)と盛況でした。

<報告①>

「3年生の授業(地域学習)~学校のまわり~」

報告者:菱山充恵さん(長岡第5小学校)

小学校3年生で実施する「地域」学習では、校区探検をすると教材の宝庫。学ぶ楽しさや喜びにあふれている。(菱山さん自身も校区を歩いて興味深いものを見つけると、「突撃取材」をしている。)

【校区探検の流れ】

①教員自作の校区地図を作成

②校区探検

③校区探検で見てきたことを、生徒自身が地図にまとめる。

④気づいたことをふりかえり。

⑤授業や学級活動など様々な場面でも自作の地図を活用

 (例:国語「モチモチの木」で主人公の豆太が半道(約2㎞)

走ったという場面になると、距離を地図で確認。「豆太、すごい!」)

 現在、教員の多忙化とあいまって「市販テスト」ありきの授業が増えている。そうすると教科書に掲載されている遠くの地域について学習することになり、身近な地域の学習が軽視されがちとなる。それは本当に子どもたちのための授業だろうか。

 

 教員は、まず校区について学び、それを教材化するべきである。それが難しいならば、地元の地域学習テキストを積極的に活用するべき。身近な地域学習こそが、生徒の視野を広げ、考えを深める楽しさを味わう体験につながっていく。

<報告②>

「十五年戦争~とくに満州事変・日中戦争の教科書記述をめぐって~」

報告者:庄司春子さん(同志社高等学校)

2015年に実施した生徒の戦争認識を調査するアンケートからは、以下の特徴①~③がわかった。

①アジア太平洋戦争の対戦相手国について正しい知識がない。具体的に

は、アメリカを挙げる生徒が70%超いる反面、中国を挙げる生徒は30

にも満たない。

②アジア太平洋戦争対戦国の中で最も長く戦った国として、アメリカを

挙げる生徒が50%超、中国を挙げる生徒は15%に満たない。

③満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争の原因について、多くの生徒(それぞれ、約50%、約

85%、約60%)が知らない。また、知っている生徒でも、柳条湖事件、盧溝橋事件、真珠湾攻撃

という断片的な知識しか知らない。

 以上の原因として教科書記述の比較分析を2015年当時実施した(京都高校社会科研究会「研究報告」2016年)が、5年が経過した現在の教科書を改めて比較分析してみた。

 満州事変に関しては、その背景として当時叫ばれていた「満蒙の危機」が日本の中国権益と中国のナショナリズムの衝突によって生じたという視点が重要だが、「世界史」の教科書よりも「日本史」や「中学歴史分野」の教科書の方がそのような視点を持って説明されている。

 日中戦争に関しては、盧溝橋事件が発端となったことはどの教科書も取り上げているが、満州事変との連続性を重視して原因を説明している教科書は多くない。また、日中戦争「長期化」の原因についての記述にも一長一短がある。抗日統一民族戦線、国民政府の抵抗、連合国の支援についてはっきり示すことが重要である。また、「泥沼化」という表現よりも「長期化」としたほうが、戦争の実相が明確化されるのではないか。

 

 アジア太平洋戦争中の中国戦線に関しては、ほとんどの教科書(山川出版社以外)が記述していない。これでは、日中戦争がアジア太平洋戦争の行方に大きな影響を与えたことが示されず、生徒にとってアジア太平洋戦争についての総合的な理解が困難になる。

<感 想>

2月例会 いい報告でした

羽田純一(元長岡京市立小学校教員)

 菱山さんの報告を聞いていて、「ああ、やっぱり小学校の先生はいいなあ。」と思いました。先生と子どもとのやりとり、子どもたちの感想や写真に写った姿から、子どもたちも先生も楽しんで学習していることが感じられた報告でした。子どもたちの感想で、自分の思ったことや考えが自然に書けているのもいい、クラスの自由な雰囲気が感じられました。

小学校の3年生で、子どもたちは初めて地図を使った学習をします。菱山学級の子どもたちは、地図を読んだり書いたりするだけでなく、そこから校区の広がり、自然や地形の特色など、いろいろなことに気づき学んでいます。現在の地図だけでなく、過去の地図とも見比べることで地域の変化(それは人々の生活の変化でもある)にも、子どもたちは気づいていきます。昔と今の写真の比較を加えることで、よりイメージ豊かに時間軸での変化に目を向けることもできます(例;右上と右下の写真)。  

 また、航空写真と地図を見比べれば、実際の景観がどのように地図に表わされているかもわかってきます。そこに地図記号の学習(それぞれが何を表わしているのか、どこにどの記号を入れたらよいか等)をつなげていくのもよいかもしれません。

 子どもたちは、社会科の学習でこれからも地図と長く付き合っていくことになります。1枚の地図からいろいろな学習に広げていったり、いくつかの地図や写真を使って子どもたちの気づきを広げていくことで、子どもたちは地図に興味を持ち地図の学習が好きになっていくことでしょう。

 放課後の遊びの相談、算数や国語の学習にも地図の学習を生かしていますが、これも教科担任ではなく学級担任制の小学校だからできる、小学校でしかできないことだろうなと思いました。子どもたちが、「こんなことにも地図が使えた」という体験をこれからもしていけたらよいなと思います。学びの広がりは、関心や意欲の広がりにもつながります。

 庄司さんの報告は、十五年戦争とりわけ満州事変・日中戦争がどのように教科書で扱われ、生徒たちが認識しているのかを、アンケートや教科書の比較を通して丁寧に整理されています。確かに、報告で言われているように、十五年戦争についてはアメリカとの戦争がクローズアップされ中国との戦争という認識が薄いのはその通りだと思います。

 では、小学校の歴史学習では何をすればよいのか?と考えてしまいます。満州事変から「太平洋戦争」まで4ページの記述を2時間で学習するのが小学校教科書での扱いです。今思うのは、少なくともアジア太平洋地域に戦争が広まってからも中国での戦争が続いていたこと、中国の人たちの粘り強い抵抗があったことの2点は、小学校でも押えておくべきではないかということです。抵抗運動によって日本の支配地域が虫食い状態になり点と線でしかなかったことについて、こんな資料を出版物に入れています。 

 小学校と高校の2本の報告は、どちらも興味深い、いい報告でした。

二月例会の感想

吉田武彦(福知山市立三和学園地域学習コーディネーター)

 「自分の住む地域を学ばなくてどうする」「学ぶ楽しさ・喜びは、二の次」「コロナで勝手な発言ができないのがさびしい」という小学校の現状。その中で、足元の地域を学ぶことから具体的なモノ、魅力的な人に直接出会うことを通して、興味関心を持たせ、主権者意識を育てたいという思いが報告に強くあらわれていました。逆に校長に直談判してでもするということをしないと、社会科でありながら地域社会を直接リアルに学べず、想像力をもたせられないということなのだと思います。学校の教職員の置かれている現状が背景にあること、同じ思いを持ちました。そういう状況下で中妻さんがチャットに書き込まれた「先生が楽しいと感じる授業は、子どもは必ず学ぶ楽しさを通して、考える力がついています」は、菱山さんもそうだろうと思いますが、私自身も勇気を頂きました。

 地域を歩き地図を描くことで、さまざまな教科の中の学びを具体的に地域での学習と関連付けて学べることを再確認させてくれました。2km歩いたことで「もちもちの木」の豆太が走った距離から「豆太すごい」と実感できたり、少しずつ住宅の造成をするために行き止まりの道がどんどんできていることをつかんだり、社会科以外の様々な教科の学びの土壌を耕しているのが地域学習でもあるようです。これは全教科を受け持つ小学校の担任の利点だと思います。(これは教科担任制の中学校ではむずかしい。)一人ずつタブレットを渡してもらっても得られない、現地のモノ・人と出会うやりとりの中で、いろいろなものを子どもは直接自らつかむのだと思います。

  実践をしながら、いろいろと学びつながる部分が見えてくる地域を巡り学ぶ校内研究が大切だと思いました。わずか45分の学校を出発して戻ってくる中で、様々な気づきや再発見ができることを実証するフィールドワークというのも可能かもしれません。私もどうしたら地域学習が大切で、担任の先生がやってみようと思われるか、ずっと考えています。

 最近ではとにかく実物を見せることが大切ではないかと考え、1年生に国語「たぬきの糸車」の授業の関連で、綿の枝、綿にさわる、綿繰り機で実際に種を取る、綿から糸に紡ぐ、綿糸を見せるなど一時間授業をして、実物を廊下に置かせてもらいました。2年生では国語「スーホの白い馬」の授業関連で但馬のモンゴル博物館から、馬頭琴、デール、シャガイという羊の骨のおもちゃをお借りして、実際に触らせました。そして、家畜を中心に遊牧民の生活について一時間話しました。

  長岡京市の人口の推移のグラフを見て思ったことは、その増加し移住してきた人たちというのが、私が今勤務している地方農村にかつて住んでいた人たちではないかということです。自分の家族親せきを考えてみても、福知山から京阪神地方に出て仕事についた人が多いのではと思います。福知山市三和町などでも、じいちゃんばあちゃんだけが暮らしている、後が途絶え空き家になっているという家があります。都市部の過密と農山村の過疎は裏返しで、子どもたちが自分の家に住み始めた時期や、元々の出身地なども調べると、農山村のこと、高度経済成長期をも少し意識できるかもしれません。

  昔の洗濯板を使った授業もよかったです。体験を通して、洗濯板での洗濯の良さも考え、気が付くんだと思いました。昔の道具は資料館で眺めるだけではやはり、不十分です。使って子どもに実感させると今の生活のありがたみもわかります。冬であれば水は冷たくなおさらです。ガスが利用され、山に薪を取りに入らなくてよくなり、楽になり喜んだ。しかし、その山が放置されて荒れ、土砂くずれや洪水を防ぐ機能を失っていくのですが。農山村には昔の暮らしを学べる原型が今も残っているところがあります。薪をつくり、薪ストーブで暮らしておられる方も少なからずいます。 

  私の勤務する小中一貫校三和学園での地域学習(三和創造学習)の児童生徒アンケートで小学校では「役に立つ学習だし、楽しい」の項目に、64%が「あてはまる」、28%が「だいたいあてはまる」としており、約90%が肯定的にとらえています。具体物や地域の人に出会っての体験学習を喜んでいます。私は、菱山さんも言われていましたが、冗談ではなく羽田先生や誰でも地域講師としていくつかの学年の地域学習に来てもらえばいいのではないかと思いました。様々な事情で困難で閉鎖的な学校は、地域に出るどころではないというところは多いと思われます。私もそんなときはまず学校の外の地域の風がほんの少しでも入ってくることが大切だと考え、中学校でしたが今年は一人地域の人に学校に来てもらった、地域の人に案内してもらった、校内掲示版に写真である程度分かる地域のニュースを貼ることができた、学級通信に毎号地域コーナーをつくり、地域のモノを紹介したりしてきました。今回、菱山さんが一つ地域に出られたことがきっかけになって一人でも共感してくれる人が増えたり、地域へ目が向く人たちが出てきたら、子どもたちだけでなく大成功だったといえる実践になるのではないでしょうか。特に、地域から学校へリアクションがあれば、子どもたちにとっても学校としても、ありがたいことではと思います。以上、小学校のことがよくわからないまま、勝手に思いつくままで書いていますが、ご容赦ください。