2019年7月例会

夏の第71回全国大会(埼玉県草加市にて、83日~5日)で報告予定のレポートを検討する例会です。先月に続いて、5本が報告されました。

『日本国紀』をどう読むか

〜植民地支配と「大東亜戦争」認識を中心に〜

家長知史さん(元高校)

歴史と物語を一体化

百田尚樹著『日本国紀』は昨年の11月の発売以来、65万部を売った話題の本です。問題なのは、百田氏と出版社(幻冬舎)がこの本を「日本通史」として大々的に売りに出していることです。
まず問題なのは、歴史と物語を混同している点です。まさに皇国史観です。例えば百田氏は「神武東征神話」を史実として描いていますが、「これを証明する文献も考古学的資料も存在してはなかい」と自ら認めながら、実在の天皇であるような叙述しています。こうした調子で古代から現代まで、百田氏の空想で綴られた放言集に他なりません。とても「通史」と呼べるようなものではありません。

「大東亜戦争」をどう捉えているか

百田氏は、「日本はアジアの人々と戦争はしていない。日本が戦った相手は、フイリピンを植民地としていたアメリカであり、ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、インドネシアを植民地としていたオランダであり、マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスである。日本はこれらの植民地を支配していた四ヵ国と戦って、彼らを駆逐したのである」と述べています。
確かに、国家間の戦いだけを見れば、植民地支配国の欧米諸国が相手国となりますが、日本が欧米諸国を駆逐したあとどんな統治をしたのか、またアジア各国の人々は日本の統治をどう受け止めたのか、具体的に知る必要があります。明らかに、日本の占領目的は、資源収奪とそれに必要な治安確保であって、「シンガポールやマレー半島、フィリピンでは住民への残虐行為や捕虜をふくむ強制労働が多発したため、住民の激しい反感を呼び、日本軍は各地で抵抗運動に直面した」(『改訂版 詳説 世界史B』山川出版社)のです。歴史の研究者の一人・江口圭一さんは、「ハワイ・マレー奇襲にはじまる戦争は、大日本帝国の『自存自衛』(宣戦詔勅のことば)と『大東亜新秩序建設』を名目とし、戦略物資獲得のために、列強を追い払い、東南アジアを日本の独占的で排他的な勢力範囲に収めようとした侵略戦争であった」と述べています。百田氏とは全く逆の「大東亜戦争」に対する価値判断、結論ですが、大切なことは、当時の史実をたんねんに、また多角的に見つめ、そこから事象の本質を見出すことだと思います。
『「日本国紀」をファクトチェック』(本庄・平井・家長共著 日本機関紙出版センター)をお読みください。この本は『日本国紀』をすべてにわたってファクトチェック(事実検証)したものではありませんが、百田氏の基本的な歴史観、具体的な近現代史像(日清・日露戦争、南京大虐殺その他)について、彼の言説を引用しながらていねいに検証しています。

民主的な世界、日本の主体形成を考える「公共の授業」をつくる

~公共を通して市民性をはぐくみ、民主的に自主編成するために~

杉浦真理さん(立命館宇治中学校・高等学校)

「公共」の問題点をどう捉えるか

高校の学習指導要領が2022年度から学年進行で実施されてきます。新教科「公共」が始まります。
「公共」の出自は自民党の公約集のJファイルにあるということを見ておくことが大事です。グローバル社会に勝ち抜きAIに負けない「生きる力」を作ることを目指す点に、今度の学習指導要領の全般の課題があります。人類の英知を教育という方法で児童・生徒たちに教え育み、持続可能な市民社会で生きていく生徒を育てるのではなく、新自由主義的な競争、OECDのキーコンピテンシーベースにメタ認知をして知識を活用し、探究でイノベーションできる生徒を育てる方向が出されていることが危惧されるのです。
また、道徳的要素を高校教育に導入しようとする目論見も見られます。さらに、狭い意味でのキャリア教育(企業戦士の育成)にむけての自分の適性探しをさせ、受験勉強・就活へ邁進する生徒の育成に絡め取っていく授業が行われる余地があります。

「公共」を組み替える

「A公共の扉」として、「人間と社会の在り方についての見方考え方」がでてきます。「公共の扉」で問われるのは公共的な空間における基本原理です。そこで、個人の尊厳、平等、人権、社会契約、立憲主義などのキーワードや知識をどう教えるかが課題となります。
そして「B市民としての主体形成」と「C持続可能な社会の課題」に挑むことができる視座を養うことになります。この間の憲法学習教育、シティズンシップ教育、法教育の視点から授業を創ることが必要となります。
たとえば、シティズンシップ教育からは、市民社会の形成を歴史的に学び、市民社会形成のために社会契約がなされたことから出発しなければなりません。国家からではなく個人の尊厳から社会が形成されていることを学ぶのです。
法教育からは、市民が法的思考を深めながら、法制度を人権のために使いこなす素材を提供したいと思います。たとえば民法や立憲主義の理解、裁判員制度などの司法参加などを学びながら、社会に参加し動かす主体としての理解を深めるのです。
生徒の声をエンパワーしながら、未来の地球市民社会に向けて、平和で地球環境が守られ、貧富の差がなくなる持続可能な社会の変革主体に育てられるかは、「公共」に立ち向かう多くの教員や、この教育活動を支える市民社会の大人によって実現されることを願っています。

教えない授業!               ~大学、全回、アクティブ・ラーニング!~

稲垣裕史さん(大阪大谷大学)

学習者を信じる

このレポートは、発問から問題解決まで、すべてを学習者に任せる授業を試みた実践の報告です。私は、学習者が学習に向き合えないのは、教師の責任であると考えています。学習者は、教師から「答え」を「教え」られなくとも、合理的で妥当な結論に、自力で行き着く能力を持っています。教師が、学習者の望まない知識・技能を「教える」授業をやめれば、彼らはおのずからその科目に向き合うようになるでしょう。
実践校は大阪大谷大学(富田林市)、実践授業は2018年度、文学部日本語日本文学科2回生以上必修「中国文学購読Ⅱ」(後期科目、全15回)、履修登録者は40名、実質参加者数は35名。途中から、私の担当する全科目において、質問づくりから問題解決にいたる過程を、授業の主な取り組みとした。

学生たちの声

最後のノート課題で、振り返りを記してもらいました。
《この1年間を一文字で表すと、「脳」って感じです(笑)。生きてきた中で一番考えまくった気がします。いろんなことを、「どうするのが一番いいのか」とたくさん考えました。“頭がパンクしそう”とはこのことだと思いました。》
《初めは予習・復習もやりにくいし、嫌やなぁと思っていたけど(ノートにすごくあらわれている)、先生がなぜこんなことをするのかの説明を聞いてからは、納得できて、ノートをするのも、また楽しいと思えるようになりました。》
《前期と後期で全然することが違って戸惑ったし、後期の授業は苦手だと思うことが多かったけど、ふりかえってみると、質問作りをしていくなかで、自分で考え、そして調べて解決する力はついたかなと思いました。先生にやることは指示されるけど、後は放置(笑)だったので、自分たちで仕切って内容考えて発表の準備もして…というのをやれたことは良かったかなと思いました。》
教師がどれだけ魅力的なコンテンツを用意し、どれだけ目を引く工夫をし、どれだけ素晴らしい発問を用意しようとも、学習者がそれに興味を示さなければ徒労に終わります。教師ではなく、学習者自身が発問すれば、学習者は問題に対して主体的に向き合うようになるであろうと考え、めぐり逢った方法が「質問づくり(Question Formulation Technique)でした」。

新元号を中学生はどう受け止めたか      ~象徴天皇・靖国神社・歴史館~

本庄豊さん(立命館宇治中学校・高等学校)

中学校3年生の1学期の「近現代史」のところで、ワークシートに資料を入れて時事問題として扱いました。
使用した資料は、令和「狂騒」を伝える新聞全国紙や日刊「ゲンダイ」、靖國神社・小堀宮司の発言(「天皇の慰霊の旅は靖國神社をつぶす」)を伝える記事、昭和天皇の弟・三笠宮の言葉、ジャーナリスト田原総一郎さんのインタビュー記事(週刊朝日2019年4月19日)など。

中学生の反応としては、次のようなものです。
・マスコミは「ありがとう平成」「こんにちは令和」のことばかり宣伝しているみたいだ。
・自分は正直にいうと、天皇が死ぬ前に元号が変わったというニュースを見て、何も感じない。
・元号が変わることについては、これから新しい時代になるという区切りでいいことでは?
・グローバル化がすすむなかで、西暦でいいと思います。
・元号が変わったからと言って何も変わりません。部活目標は「令和初の全国一」になりましたが。
・天皇は国の象徴としてとても大切な存在であるため、おられるべきだと思うが、元号の必要性は本当に感じない。また、政府から具体的な説明もなく、元号を変更することで、どのような効果が生まれるのか分からなかった。私はしっかりと説明を国民にした上で、国民の意見をもう少し尊重するべきだと思う。

(上の書影は、本庄さんの近著『優生思想との決別』2019年5月刊です。)

日本地理の授業構想と実践

~過疎地域の町づくりの創造力を育てる~

吉田武彦さん(三和学園)

2019年4月、過疎化・少子化が進行する福知山市三和町では、市内2校目の小中一貫校三和学園が開校しました。百数十年の歴史を持つ小学校はなくなったが、三和町に学校を残したいという苦渋の決断でもありました。
校訓は「自立 共生 貢献」。その学園の柱に教育課程特例校として「三和創造学」という時間をとり、地域を学ぶ学習を3年~6年で年間約50時間、7年~9年で約25時間行っていくことになりました。
私は今年3月に福知山市立三和中学校社会科教員を定年退職し、4月から三和学園のスクールサポーター、地域コーディネーターとして、主に3年生~9年生の担任の先生と地域の方をつなぎ、その学習を組み立てる仕事をしています。基本的には週20時間の勤務です。2年前から、協力して頂く地域の人たちのリストづくり、地域学習のカリキュラムづくり、その一部実践を行ってきました。今年度の実践と構想の一部を紹介しようと思いました。

三和創造学習の小学校・中学校の実践内容とそのつながり、三和地域まるごと博物館の地域常設展示と企画展の活用、それらも受けて過疎地域の町づくりの創造力を育てる日本地理の授業を構想し実践してみました。
今回報告するのは、中学校の地理学習において中国・四国地方「高齢化が進む農村と町おこし」のところでの授業です。徳島県上勝町への取材をもとに教材開発をし、後半は三和町の地域おこしとも関連づけた活動をさせてみました。