村井さんから、中国・南京の高校生に授業をしてきたという貴重な体験をお聞きしました。そのあと質疑応答・話し合いを行いました。今月もとても活発な交流となりました。以下、概要としてまとめました。
歴教協の日中交流委員として2度目の参加となった昨年12月、南京第一中学校(左写真)で授業をすることになりました。授業検討会は、7月から始まり月1回のペースで行われ、団長の米山先生を初めとする日中交流員の先生方によるきびしい指導やアドバイスをいただきながら進み、指導案の作成にこぎつけました。最初は台湾を扱う案を考えましたが、却下され、孫文に焦点をあてることになりました。
南京では、たいへん手厚い対応をしていただきました。食事も次から次に出てきて、「もう食べられません」といっても「もっと召し上がれ」とばかりに出てきました。
南京第一中学校は中高一貫校で、学力的には南京で3番目の学校と聞きました。先生方はほとんどが女性で、勤務時間は8時~16時で部活は「無し」でした。
通訳は第一中学校の卒業生で日本語を学んでいる若者がやってくれました。午後の授業(5~6限)で、2クラス80人の高校生が集まってくれました。自己紹介をする前に、「今日の授業テーマはある人物についてです。これは誰に関するものでしょうか」と発問し、まず神戸市孫文記念館を見せ、班で相談してもらった。もちろん誰も答えられなかったので、神戸大倉山公園の孫文像を見せて、もう一度聞いてみると「孫中山」と解答が出ました。そこで自己紹介。「孫文の人生最後の演説は兵庫県の神戸市で行われました。日本に唯一ある孫文記念館は神戸市にあります。私はその神戸市のある兵庫県から来た世界史の教員です。よろしくお願いします」と言うと、大きな拍手がありました。
孫文は「大アジア主義」を訴える演説を1924年11月28日神戸第一高等女学校(現在の神戸高校)で行っています。孫文の人生最後の演説です。聴衆は2000人。次の【史料①】を使いながら、その熱狂ぶりと内容をおさえていきました。下は、生徒に配布したワークシートで、これを中国語に訳してもらいました。
そして1つ目の発問です。「孫文は下線部①のようなことを言っていますが、一方で下線部②のようなことも言っています。なぜ、そのようなことを言っているのでしょうか」という問いです。まずグループで考えてもらうために時間をとりました。そして「どんな話がでたのか教えてください」というと、高校生たちは「アジアの民族はヨーロッパに比べて弱くない。アジアは団結してヨーロッパと闘おう。」「アジアの民族の独立をリードしていきたい。」「戦争に勝ったというのはヨーロッパより強いとはいえない。どうやって発展してきたかが重要。日露戦争で勝ったというのは事実だが、孫文はやはり戦争はしない方がいいと考えている」と解答してくれました。この演説の本質である「大アジアとして団結していこう」という趣旨と「戦争に勝つよりも大切なことがある」というとても大切なことを発表してくれたと思いました。
2つ目の発問は、2つ目の史料を参考に、「孫文は、アジアではないロシアのことを話しました。その目的は何でしょうか。そして、ロシアに何を期待していたのでしょうか」という問いである。
すると、「ロシアはヨーロッパですが、大部分の国土はアジアにある。100%ヨーロッパの国とは言えない。」「孫文が演説した1924年はレーニンが亡くなっており、新しいソ連の軍事力、そしてソ連の支持をとりつけたいとおもっていた。」「ロシアはヨーロッパに反対、東洋の考え方で、アジアとの連帯を求めていた。孫文先生はロシアのことを言い、大アジア主義を広めたいと思った。」と解答してくれた。素晴らしい視点を持った意見が飛び交ったが、仁義道徳を大切にしたロシアという視点の解答はありませんでした。
▼下は、指導案の「8.学習内容」の部分です。
3つ目の発問は、「この授業を現在に生かせることは何ですか」です。そうすると、生徒たちは「アジア諸国がみんな仲良くして、何らかの協力体制をつくりたい。」「ヨーロッパは先進国が多い。アジアは発展途上国が多い。アジアが一緒になってますます大きな発展をつくりたい。」「今、戦争の手段を使わないで、いろいろ協力をして、ヨーロッパより発展したい。」など様々な意見が出てきた。孫文による大アジア主義演説の内容を読み取り、現代社会に生かしていくこと、また歴史を直視することで、今後のアジアの在り方を考える素晴らしい時間になったのではないかと思います。
神戸市と南京のつながりの強さを認識するとともに、孫文という人物を通して日中交流の意義を見つめ直し、東アジアの平和を目指すような授業を展開したいと思い、この授業を行った。結果的に言うと、半分くらいは達成できたのではないだろうか。しかし半分は失敗です。とても後悔が残っているのは、大アジア主義とは、要約するとアジアには中国や日本や朝鮮など様々な国があるなかで、これらが団結して1つの大アジアとして世界と対峙していく必要性を訴えたものである。」ということを把握せずに進めてしまったことである。やはり、発問と定義づけは関連していて、そこを再認識させられた授業交流でした。
特殊な状況のもとで行われた授業ということを留保した上で言うのですが、つまるところこの授業では何をねらったのですか。書かれてはいるが、クリアじゃないと感じました。批判しているんじゃないです。何をやりたいの?ということです。
孫文について考えを深めてほしいというのが一番大きいです。その題材として、演説を取り上げました。そして発問③に重きを置きたいと思いました。大アジア主義を用いて、孫文の訴えたいことを見つめ直し、今後の日中の友好的な築きたいというのが目的です。
私は、孫文の思想そのものに疑問を感じています。日露戦争の結果を見て、日本を高く評価しすぎているのではないか。日本から援助も受けていたし、日本人との間に子どもも産んでいるし、日本との関わりがありすぎて、孫文の日本評価は甘すぎるのではないか。日露戦争での日本の勝利がアジアの諸民族の独立を励ましたと教科書にも書いてあるが、むしろツァーリズムを倒していったロシア革命の影響の方が大きいという歴史家もいる。日露戦争は実際は朝鮮侵略戦争なので、日本のズルさをつかないと表面的な学習になってしまうのではないでしょうか。ネルーなら『父が子に語る世界歴史』の中で、日本は朝鮮のためといいながら侵略していると日本のズルさに気をつけるように娘に言っているが。孫文にネルーのような考えはあるのですか。
日露戦争の「勝利」というのは、日本に好かれるためのリップサービスであり、もちろん孫文がそう言ったわけではありませんが、真実ではないというのは大前提で授業しています。
この演説は孫文の「リップサービス」だと授業者が言っているということですが、それは生徒と共有した情報なのですか。南京の高校生と、「これはリップサービスだよね」ということで展開されたのかどうか。
共有はできていません。
なぜしないのですか。しちゃえばいいのに。
史料から読み取るということで…。史料をこう解釈すると教えたくないというのが交流委員の意向でした。これは「リップサービスだ」と読み取ってほしかったとは思いますが。
レジュメの3ページに「日本人から好かれるために、演説でリップサービスを行っている。つまり、演説内容と彼自身の思いが異なっているところを指摘し、むしろそこを教材化すべきであると言われた」と指摘されていますが、それがどこへ行っちゃったのですか。
この史料1の①と②で読み取ってほしいというのが米山さんの考えでもありますし、僕の考えでもあります。①と②を深く読み込めば、日露戦争をリップサービスで使っているんだなってわかります。
なるほどね。でも結果として出てこなかったということですね。
生徒たちは事前にどの程度、歴史的な背景について授業を受けていたのですか。孫文の大アジア主義をこの時点で初めて知ったのでしょうか。
大アジア主義は初見です。神戸というのも知らないと思います。孫文については既習事項ですが、辛亥革命の背景とかどこまで深く理解しているかは…。
3つのことを言います。1つ目。中国での歴史教育は教え込むやり方です。暗記主義です。生徒たちは国家の歴史観を使って考えています。もし交流するなら、そこを突き崩すようなことをしたいと思います。確かに南京の高校生は、アクティブに見えるし言うことは言うが、自分で考えたことなのか、そうさせられているのか、腑分けしていくべきだと思います。
2つ目。史料の扱いについてです。どういう背景のもとの発言なのか、発言者はどういう立場から発言しているのかを押さえた上で読む-ということは、学習者には不可能なので、授業者から伝えておくことが必要だと思います。
3つ目。時代性についてです。孫文と同じ時代に同じように亡命していた人を含めて、孫文を見る必要があります。そのへんは、孫文だけを見ていても俯瞰できません。そういう意味で、年表がありましたが、もう一つは孫文の年譜がいります。もう少し長い尺で実践できるなら、ここは大事な観点になります。
史料②についてですが、ロシアに対する評価も検討する必要があります。ロシア革命の意味をどうとらえるかということです。もう一つは、孫文の先進性と限界性をどう考えるかです。孫文を美化することなく、同時代の思想や運動との関連も見ながら、演説の意義を押さえながらも、孫文の持っていた限界のところまで突っ込んでいけるとより当時の時代状況が浮かび上がってきたのではないでしょうか。
この授業のねらいは何かとお聞きしたら、今日の授業から現代に生かせることは何かを考えさせることとお答えになったから言うのですが、すべての歴史学習や歴史事象は現在から考えているから現代的課題であるので、そこを考えることは間違いじゃないのですが。じゃ、この授業が歴史学習になりえているのかというと、よくわかりませんでした。特殊な状況のもとで行われている授業なので、その部分は留保しますが、子どもたちが歴史的に考えていることになっているのかがよくわかりません。歴史の授業を作るときに大切なのは、歴史的な時点で考えたことになっているのか、超歴史的なことになっていないかです。史料的な限界や孫文という人の限界もあるけれど、孫文の生きた時代や背景を抜きに歴史的に考えることは難しい。だから年表や来歴がいります。
もう一つは、史料をどう見るかとは別に、教材としてどう見るかは腑分けして考えた方がいいと思います。演説が行われた条件について、あるいは「演説はリップサービス」というところまでは授業者が言っちゃってもいいのではと思います。その方が子どもたちは考えることになるし、考える教材になり、授業立てがクリアになるのではないでしょうか。乱暴な言い方でごめんなさい。
それと、兵庫県の教員だから、もっと兵庫県を押し出してもよかったのではないか。村井さんの村井さんらしいところが残らないともったいない(笑)。
指導案の本時の目標に「孫文による人生最後の講演となった神戸での演説『大アジア主義』を資料に、徹底した対話を通して、孫文はどんな思いで神戸に来たのか、日本に何を期待していたのかを考える」とあります。この目標に、教材が合っていたのかを考える必要があると思います。それにしても言葉が違うのにアクティブ・ラーニングは難しいですね。
終わったあとのフィ-ドバック、返ってくるのですか。やった方がいい。ただ単に日本人のお話を聞いて終わりではなく、もらった方がいい。ぜひお伝えください。
コメント用紙に書かせるということですね。
正直に書くかな?
書かせることで、こういう授業があったことを振り返らせることになるので、何を書いているかは問題ではないでしょう。
最後に何か、授業者を勇気づけるようなことを…
歴教協は、そんな簡単に勇気づけたりしない(笑)。ただせっかくの出会いなので、続きがほしいですね。南京の高校生と兵庫の高校生、南京の先生方とのつながりができないでしょうか。次の取り組みへ模索していただけないでしょうか。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)