京都歴教協 2020年1月例会

1月例会は、「持ち寄ろう~実践・教材交流」と岸博実さんの報告「戦争と障害者」でした。

まとまったレポートではなくても、気軽に実践や教材を持ち寄り、紹介や話し合いができるように考えた企画です。今後も、続けていきたいので、みなさん「ちょっとレポート・ちょっと報告」を是非持ち寄ってください。

参加者は10名でちょっと少なかったですが、内容の濃い例会となりました。

持ち寄ろう~実践・教材交流

「火事からくらしを守る」菱山充恵さん(小学校)

授業の様子を、学級通信によく載せています。3年生の社会科の授業の様子と子どもの感想を載せた通信No95を持ってきました。消防署の仕事や校内・地域の防火設備を調べたりしながら、火事からくらしを守る取り組みの学習をしていきます。

 <通信の記事から>

 社会科の「火事からくらしを守る」の学習では、校内にある消火設備について勉強しています。学校中を歩いて、消化器や消火栓などを探しました。普段から目に入っているはずなのですが、これまでいかに意識していなかったかがわかります。金曜日の授業では、それぞれ調べたことを一つにまとめました。すると、「消化器ありすぎ!教室と教室の間においてあるなあ。」「消化器も消火栓も、一ヶ所にかためるんじゃなくて、バラバラに置いてある。」「その方が近くにあって、火を消しやすいんだね。」「防火扉は階段の所にあった。でもなんで向かい合わせなのかな?」「だって、半分だけだったら煙を止められへんやん。」など、たくさんの発見・意見が出てきました。

「技術の発達とさまざまな職業」辻健司さん(中学校)

1月初めから同志社中学校に非常勤講師として、1年の歴史学習(8クラス週2時間)を担当しています。初めての私学で毎日がメチャクチャ新鮮です。最初の授業が室町時代の産業の発達です。毎時間ワークシートを作り、パワーポイントで展開しながら、授業後半に中心発問をもっていくスタイルにしました。教科書は帝国書院。本文に「作物に人の糞尿を肥料としてほどこすようになり…」とあり、ここに焦点をあてようと思いました。糞尿をどのように肥料にするのか説明したあと、「なぜ、人の糞尿が肥料になると知っていたのだろうか?」と問いかけ、自分の仮説を書かせ班で交流し、班としての仮説をたてさせました。いきなりの下ネタで、珍答もありケラケラ楽しい授業となりました。「糞尿のある所の植物の生育がよいということを縄文時代から知っていたのではないか」とまとめました。

羽田先生によると、人糞尿は江戸時代になっても貴重な肥料として活用されていました。京都近郊の山城国152ヶ村が、京都の町の糞尿のくみ取りの権利保護を求めて、業者の活動制限と他国への積み出しを禁止する訴えを京都町奉行に訴えている例もあるとのこと。

「古代の土笛~陶塤(とうけん)の来た道~」羽田純一さん(元小学校)

弥生時代に、日本に伝わった卵形の土製の素焼きの笛のレプリカと説明書が紹介されました。京丹後市の丹後古代の里資料館へ行ったときに入手したものです。古代中国に源流がある楽器で、丈夫に吹き口があり、前面の4個と背面の2個の孔を塞いで糸を奏でることができます。日本では、北部九州、山口県響灘周辺、島根県宍道湖周辺、丹後半島に分布の中心があり、約100個が見つかっています。持ってきた本人は、あまり上手く吹けなかったのですが、上手に音を出している参加者もありました。

報告:戦争と障害者

岸 博実さん(元京都府立盲学校教諭)

プロフィール:1949年、島根県生まれ。広島大学教育学部卒業。京都府立盲学校教諭をへて、現在、京都府立盲学校・関西学院大学・びわこ学院大学非常勤講師。2012年より日本盲教育史研究会事務局長を務める。

▼以下、通信2月号より転載します。

報告者の岸博実さんは、「戦時中の障がい者の置かれた立場をずっと盲学校等の記録から研究された」と通信12月号で紹介しました。しかし、お話を聞いて、先生の研究はその範囲にとどまらず日本の障がい者教育の初期から戦後に至るまでの広範囲にわたって精力的に資料を集め研究しておられることが分かりました。報告のいくつか印象に残ったことを中心に書き記します。

一番印象に残ったのは、当時の政府や軍部があらゆるものを「戦力」として戦争に動員使用としていたことです。「視力」や「聴力」でさえ、「戦力」として動員しようとしていたことに改めて驚かされました。東大の眼科医が「眼は武器」として「眼が悪くては銃はうてない。飛行機には乗れない。」と書き、盲人を子にもつ親に「おまえは特攻機に乗っていけないのだから、誰かに乗せてもらって行きなさい。」と言わせしめたこと。盲人防空監視哨員なるものを設け、目の不自由な人たちの聴力をも戦争に利用しようとしたことなど、あらゆるものを戦争遂行に利用しようとしたことが如実に表れています。国民学校・盲学校で聴かされた「敵機爆音集レコード」の実物を見せて頂きました。これで爆音を覚えて、聴力に優れた盲人防空監視哨員に、いち早く敵機の襲来に気付かせるためのものだったのでしょう。以前の例会で、食糧増産も「戦力の元」と位置づけられあらゆる場所を畑として活用するよう指示が出されていたことを報告しましたが、今日の報告内容のような面にまで「戦力」として、なりふり構わぬ動員が行われていたのでした。

戦争中の障がい者は、一方では「役立たず、非国民」と差別され、一方では「技療手」という名の軍属として最前線にも送られ、兵士たちを、按摩やマッサージで凝りをほぐし疲労を回復させてまた前線へ送り返す役割を果たさせられました。しかも、「盲人防空監視哨員」や「海軍技療手」などが「身体の不自由なこんな者達でさえ、皆決死隊となって皇国のために戦っているのです。身体に何不自由のない人たちは、これを見て何と考えるでしょう。黙って見ておれるでしょうか。」と、戦意高揚の宣伝にも利用されました。岸さんの報告は、戦争の醜い姿を改めて思い知らされるものでした。

報告の中で、障がい者やその教育に関わる人たちの厭戦、非協力、反戦の活動に触れられ、希望の灯のようなものを感じました。

京都の自由民権運動の中で、天橋義塾の小室信介たちが聾唖教育に取り組んでいたという話にも興味をそそられました。帰って、早速、丹後郷土資料館で催された天橋義塾の特別展の資料集に眼を通しましたが、天橋義塾の聾唖教育に関する記述はありませんでした。次回、資料館に行ったときに学芸員の方に尋ねてみようかと思っています。(羽田純一)

参加者の感想

中妻雅彦さん

岸博実さんの深くかつ広い資料にもとづくお話に圧倒されました。「戦力」として、何らかに活用しようとすることが、広く行われていたようだが、人=「戦力」という非人間性を感じました。また、資料によって明らかにされる歴史にも、岸さんの情熱を感じることができました。

「すべての人に戦争があった」菱山充恵さん

やはり、戦争というのはすべての人の上に重くのしかかっていたんだなと思いました。障がいがあること「役立たず、非国民」と言われていた人々にとって、耳を澄まして敵機を監視したり壕を掘ったりするいわゆる「お国のため」の役割は、生きていくための(社会に受け入れてもらうための)ものであり、絶対に拒否できないものだったのではないかと思います。

自分の勤務校に、悲しい歴史があると思うと、とても複雑な気持ちになります。研究されているのがすごいなとあと思います。

今も続く障がい者への差別は、この頃からすでに始まり、人々の心に根強くあり続けているのかなと感じました。

「岸博実さんの話を聴いて」田中仁さん

岸先生の話を聴かせて頂いたのは初めてではありませんが、聴くたびに、その調査・研究の緻密さ、深さに驚かされます。戦時中の国民の戦争動員は健常者だけでなく、障がい者にも及んでおり、しかも自分たちも健常者と同じように役に立ちたいという気持ちを利用して、それを逆手にとって戦争に協力させたということには、非常に痛ましい思いを持ちました。岸先生の研究は国民の戦争動員の様々な事実に大きな事実を付け加えるものであり、研究を豊かにする業績であることは間違いないと思います。森信三の評価をどう考えるかという点については、戦後京都の革新陣営の代表的な人物であったある高名な仏教者のことを思い出しました。戦争に協力したことを深く恥じ、反省して教師を辞め、戦後進歩的な作品を発表し続けたある作家の例もあり、その人が戦後どう生きたかということが問題なのだと思います。