京都歴教協12月例会

「戦争」学習のミニ・レポート 報告会

 今回は、テーマを決めてミニレポートを持ち寄る例会の企画第1回目でした。小学校から大学まで8本のレポートが持ち込まれ、予定時間を1時間延長しても時間が足りないぐらいでした。事務局で最低限のレポートは確保しておいたのですが、こんなに多くのレポートを出してもらえるとは予想していなかったので、嬉しい誤算となりました。今月の参加者は13名でした。

戦争の扱い方について

小林彬さん(大江高校)

戦争を授業で扱うことの悩みとしては、次のようなことがあります。

   戦争の悲惨さだけを強調するようなやり方、それが人によっては自虐史観と言われたりするが、はたしてそれでよいのか。でもやっぱり悲惨な部分は変わらないのでそこは教えるべきではないのか、個人的には思ったりします。

   悲惨さだけではなく、経済的な利益が戦争をおこすことにつながることもあるので、そちらを強調すればよいのか。

  戦争を避けるためにどうすればいいのかを過去の教訓から学べばよいのか。過去の教訓として捉えることがよいのではないか。

  誰を、何を悪者として捉えればよいのか。そうは捉えなくて、より客観的な授業をすべきなのか。あるいは、よりもっと悪い面があってそういう思いのもとでどんどん広がってしまったのか。誰かを悪者にするような、何かを悪者にするような捉え方をすればいいのか。

そういった点で、悩んでいます。

《討論》

勝村さん(大学)

戦争はウソから始まると言う視点から見るということも大事なのではないか。

羽田さん(元小学校)

もっと人にスポットをあてることが大切なのでは。戦争に動員された兵士とか、食糧増産のためにかり出された人とか主婦とか。そこをクローズアップすることが大事なのではないか。ゲームと戦争の区別がつかなくなっている。

家長さん(元高校)

巻き込まれた人々や戦った相手の人々の状況も含めて、事前の教材研究をした方がいいのでは。

吉田さん(中学校)

地域の視点を入れて、例えばお墓調べをすれば、アジアのどこでなくなったか見えてくる。小学生でも一番教えたい認識ではないか。侵略戦争だったことをふまえないとあかんのではないか。

小林さん

侵略戦争という捉え方ですすめていくなかで、朝鮮の人に人権的によろしくない見方をする生徒が出てきたりして、調べ学習をしたりすると「朝鮮人はバカだから」と言うような生徒がいて、そういうときにどう対応したらいいか。

勝村さん

詰問調になってはいけないけれど、「その話、誰から聞いたの?」と聞き返してみればいいのでは。親の影響や変なネットの影響かもしれません。出典がわかったら、「その出典やばいかも」と教えてあげれば。

小林さん

「ほかにも見方があるのでは」とか。

家長さん

あるいは、「調べてみよう」とか。その方が学習的ではありますね。

辻さん(中学校)

同和教育とか押しつけられていた時は、そんな発言が出たら「何いうとんねん!」とその場で感情的に言っていたけれど、今はそうではない。あきらか偏見でもさぐりを入れたりして、3年間かけて考えていくようなスタンスでいいのでは。

小林さん

せっかく出てきた言葉やし。

辻さん

そうそう。

家長さん

ベテランはそういうけどなぁ(笑)。なかなかその場面ではあわてるしなぁ。長い気持ちで受けとめ、授業のなかでどう生かせるか、自分なりに消化していったらいいのでは。

勝村さん

大学の講義の場合、受講生が多く、序盤戦で感想を書かせると、ネット情報に影響されているのか、びっくりするような感想が出てくるけれど、わざと拾って翌週の授業で返していくと、だんだん減ってきます。

「戦争」を教える

庄司春子さん(同志社高校)

高校生の戦争認識を調べるために、アンケートを実施してきました。その結果、次のような特徴が見られます(201511月実施)。「アジア太平洋戦争で、日本が敵として戦った国を、知っているかぎりあげてください」と聞くと、アメリカが敵国であったことは72%の生徒が知っていたが、中国をあげた生徒は28%しかなかった。また「そのなかで日本がもっとも長く戦争した国はどの国だと思いますか」と聞くと、アメリカをあげる生徒が56%で、中国をあげた生徒は15%にしかすぎなかった。そして、日清戦争以来のそれぞれの戦争の原因を聞くと、「わからない」とする回答がもっとも多く、とくに日中戦争については85%もの生徒が「わからない」とした。

なぜこういう特徴が見られるのか。その一つに、教科書記述の問題性があげられます。たとえば、満州事変について、教科書では「恐慌からの脱出をはかるため大陸進出(侵略)した」と書いてありますが、これでは“仕方がなかった”論に陥る可能性があります。日中戦争が「泥沼化した」とありますが、これでは原因も経過もわかりません。中国に敗戦したこともわかりません。そして靖国問題などで、なぜ中国はいつも怒っているのかについてもわからなくなってしまいます。

戦争学習にどう取り組んできたか。私の実践はワークシートを見て下さい。世界史(中国史や朝鮮史も含めて)と関連づけて実践してきましたが、来たるべき「歴史総合」で戦争学習の視点が薄まらないか懸念しています。アクティブラーニングを取り入れるか、風化する戦争体験をどう受け継ぐか、世界の平和教育から何を学ぶかという問題についても考えていきたいと思います。

《質疑・討論》

杉浦さん(高校)

ファシズムについて、どのような授業をされていますか。また生徒はどのように認識していますか。

庄司さん

ファシズムにいたる事実関係は教えていますが、基礎的な事柄をこなすだけで精一杯になっています。

杉浦さん

私の問題意識ですが、いまヨーロッパでは移民排斥のなかでファシズムへの流れが強まっています。排外主義的な風潮にポピュリズムが結びついて社会を動かしてしまう。その背景を見ていったときに、20世紀のファシズムの体験をどう我々が克服してきたのかという問題に対して、生徒が考えて行くための視座を持っていると、戦争とつながりながら現代を見ていくことができるのではないかと仮説を持っていますのでお聞きしました。

庄司さん

1991年に東西ドイツが合併しましたが、最近読んだ本で、ドイツのポピュリズムは東ドイツにベースがある、西ドイツでは支持が得られていないと。そのへんのちがいはどこにあるのかというと、著者の分析では、東ドイツは社会主義国として、ナチズムは独占資本主義だったので国民は被害者なんだというスタンス。一方西ドイツはナチスを選んだのは国民だったと、だから国民にも責任があるという形で教育をしていく。そのへんがポピュリストを生む土壌の違いかなと指摘していましたね。

辻さん

アンケート、とても大事だと思います。アメリカと戦い負けたけど、中国とはどうだったのかよくわかっていない実情が示されています。それをふまえて、実際の授業ではどんな工夫をされているのかもう少しお話ししてください。

庄司さん

吉田裕さん・森茂樹さんの『戦争の日本史(23)アジア・太平洋戦争』(吉川弘文館)を読むと、この戦争の戦場は4つあるとしています。1つは、太平洋上のアメリカとの戦場、もう1つは東南アジア、さらに満州、そして中国だと。地図が載っています。そして実際は太平洋戦争中も中国戦線に一番たくさんの兵隊がいる。終戦時でも60万人くらいの陸軍兵士がいる。だから太平洋戦争と言ったって、主戦場は中国戦線だったということがよくわかります。教科書には出てきませんが、中国八路軍の百団大戦とそれに対抗する日本軍の三光作戦とか大陸打通作戦とか、1944年の時点でも死闘を繰り広げていたわけで、そのあたりを授業では扱っています。生徒からは「暗記しないといけないのか」「試験に出るのか」と聞かれたりして、そのへんは難しいところです。

そして、さきほど人を取り上げたらどうかという話がありましたが、八路軍の捕虜になった日本兵がいて、そういう人たちは最初は殺されると思っているのです。ところが八路軍は捕虜を訓練して日本に対して反戦活動をさせるわけです。そういう人たちが戦後日中友好の架け橋になるのです。手記が残っていますので、プリントにして読ませたりしていますが、生徒は「こんな世界があったのか」と興味深く読んでいます。

大豆増産運動について

羽田純一さん(元小学校教員)

以前勤務していた小学校の近くに、向日市文化資料館がありまして戦時中の生活がよくわかる資料を保管しています。例えば防空演習の記録があり、早くも昭和12年から任務や段取りを決めて演習していたことがわかります。毒ガスの文言も出てきます。

そんな資料の中に、鶏冠井(かいで)区長と農家組合長宛の文書(昭和20528日付)に、大豆増産運動要項があり、これをもとに6年生で1時間の授業をしてみたらどうなるかを授業プラン「大豆を作れ!」として作ってみました。ねらいとしては、〈戦争が長引き食糧不足が深刻になってきたことがわかる〉〈戦力のもととしてあらゆる土地を活用して大豆の増産運動が行われたことがわかる〉です。

展開としては、まず「大豆を知っていますか、どんなものが作られるのかな」から入ります。大豆を見せて、楽しい導入にします。そして、わかりやすい資料にした「大豆増産運動について」を配布し、文書が出された年月日を確かめ、戦争が終わる2ヶ月半ぐらい前のことと押さえます。次に、この文書の「目的方針」のところを読ませます。ここのポイントは、「何のために増産運動をするのか」という発問で、国民のためではなく戦争のために始めた運動だという点を押さえます。さらに、増産運動の具体的なやり方について、資料を読み解きながら話し合います。空き地や荒れ地の利用、川の堤防、道路脇のほか、運動場や公園まで使われたら、「遊ぶ場所までなくなってしまうよ」と心配する子どもの出てくると思います。―こんなプラン、いかがでしょうか。

《質疑・討議》

一般参加のかた

国民学校の時代、私の場合は4年生から国民学校になりました。食糧増産ということで、大豆やさつまいもを植えました。運動場で作った。甲子園でも野球が中止になってサツマイモをやった。鍬をもって人力でやった。私の家も農家やったが、米も一粒一粒拾った。一粒も残したらあかんバチがあたると、年寄りから言われたし、いまだに体にしみついている。今の時代はものがあふれている。

菱山さん(小学校)

作ったものは庶民に届きましたか。

一般参加のかた

サツマイモは5月か6月に苗を植えて秋に収穫した。先生が「おまえらが作ったサツマイモや」というてみんなで食べました。

本庄さん(中学校)

お腹が空くとか飢えるとか、今の子どもたちはわからない。どういう感覚なのでしょうか。

一般参加のかた

私らは、辛抱強かった。「欲しがりません勝つまでは」と言われ、「勝ったら食わしたる、信用せい」と言われて育った。良い兵隊さんになって国のために忠義を尽くせと言われました。

小林さん(高校)

当時の先生って、どんな人やったのですか。

一般参加のかた

申し上げたいのは、気の毒でね、先生は戦争の犠牲者やったと思います。教科書は国定で、修身もあり、神武天皇とか教育勅語を教えられた。軍部からも圧力がかかっていて、国から言われたとおりに教えないと先生だけではなく親族一同弾圧された。小林多喜二もそうやった。村八分にされた。お互いが監視し合って、自分の意見を言えなかった。そういう社会情勢でした。

杉浦さん(高校)

『この世界の片隅に』というものがあの時代の生活を丹念に描き出しています。多くの共感を集めています。生活から戦争を見直していくという努力を、私たちはもっとしないといけないかなと思います。

大学で戦争をどう教えるか?日清戦争を中心に

勝村誠さん(立命館大学)

例会で発表するのは初めてで、緊張してます(笑)。退職までの3年間ないし8年間に、挑戦してみたい私自身の課題をあげると、〈高校日本史・世界史の既習知識を基礎としつつ、それらを総合して、学生の空間的・時間的認識の拡張をはかりたい〉〈日本外交史研究者研究者には保守的リアリストが多いが、それに対抗する外交史の方法論を模索したい〉〈「戦争と平和」の課題を正面に据え、国内外の情勢への関心を喚起し、歴史的に読み解く力をつけたい〉ということになります。

次年度、私は「日本政治史」と「戦後日本外交史」を担当します。前者では、近現代日本政治外交史について、思いっきり戦争に焦点を当て、中国をはじめとする東アジアとの関係を常に視野に入れつつ概観しようと考えています。

日清戦争の授業計画を考えてみました。まず、導入として、〈①日清戦争はいかにして始まったか。なぜ開戦を食い止められなかったか。②戦争はどのような過程をたどったか。③戦争の帰結は?戦争により国際社会はいかに変化したか。④日清戦争が現代に問いかけるものは?〉という授業のねらいを提示します。次に、高校の教科書(山川出版と三省堂)の読み比べをします。この時の発問は-歴教協に来ると「発問」について議論されますね、すばらしいです、大学の講義でそんなことしたことがないです(笑)-、「何か重大な違いがありますが、気づきましたか?」です。山川の教科書には、王宮占領事件が載っていないのです。ここでポータルサイトに学生のコメントをアップしてもらいます。そして経過を概説し、映画『天皇・皇后と日清戦争』(1958年新東宝)を見せます。教材作りでいえば、『日清戦争』(大谷正著、中公新書、2014年)や『描かれた日清戦争』(大谷正・福井純子編、創元社、2015年)が役に立ちます。そしてこの戦争では、東学農民軍に対する大虐殺と旅順大虐殺、さらに下関条約締結後台湾での戦闘で多くの台湾人を殺しているという話をし、ジェノサイド概念があてはめられるか考えさせたい。学会の論争も紹介したいと思っています。

《質疑・討論》

小林さん

さっき紹介された映画はどんな内容ですか。

勝村さん

内容は、ちょっとふざけてます(笑)。けど、ものすごくお金をかけて戦闘シーンを撮っていますので、割とリアルです。嵐勘十郎が威厳のある明治天皇役をやっています。

大阪空襲と三和への学童疎開

吉田武彦さん(京都歴教協福知山支部)

この間、小学校の授業に入ることが増えています。過疎化のなかで小中一貫校になりました。

小学校6年生を対象とした、地域に出て行っての授業を考えてみました。

福知山市三和町は谷間の町で、人口3300人くらいです。廣雲寺というお寺があります。戦争中にそのお寺に学童疎開されていたかたが、1999年戦後55年たったときブロンズ像を作ってお寺に贈られました。そこへ6年生が行ったと設定して授業案を作ってみました。

◇まず、ブロンズ像の前で「どこの女の子かな?」と発問します。これは大阪市大淀区(現北区)の子どもです。疎開していた人がどこのお寺でお世話になっていたか、長い間わからなかったようですが、廣雲寺の大きな椿の木を見てここだと確信され、像を贈られたのです。

その女の子の姿を見て、「なぜこんな服装なのかな?」と聞いていきます。防空ずきんをかぶっています。空襲から逃れるために学童疎開してきました。親と離れて暮らすことになったのです。そして「大阪の子どもたちはどこへ疎開していたのかな?」と聞いていきます。各区別で、西日本の各府県へ、また国民学校別でいろんな地域の寺院へ行きました。

◇次に、疎開してきた子どもたちが毎日夕方並んで座っていた階段に連れて行きます。そして聞きます。「なぜ夕方になったらここに座っていたのかな?」→おうちの人が何かものを持ってきたり向かえに来るときに通ってきた道が見えるからです。

◇廣雲寺の戦時中の代用品の仏具を見せてもらいます。鐘のお別れ式の写真を見て、「なぜ金属供出したのかな?」→戦況悪化で資源不足になったから。また川の向かい側には珪石やマンガンの採掘現場がありました。そこでは朝鮮人の労働者もいました。

◇細身国民学校の敗戦直前の学校日誌を見ます。「敗戦直前まで子どもたちは何をしているかな?」→防空壕の穴掘りをやっていたのです。

◇廣雲寺の水子地蔵前へ移動します。「これは何かな?」→戦争に関連して亡くなった子どもの地蔵です。

《質疑・討論》

後藤さん(高校)

以前、京都歴教協で滋賀県立平和祈念館に行ったときに、疎開をしたのは子どもたちを守るためではなく、親たちの訓練をしやすくするためだと聞いてびっくりしたことがあります。

杉浦さん

疎開って、次の戦争世代を残すために行ったのではないのですか。

吉田さん

小学校6年生でそこまでやる必要がありますかね…

生徒に見せたいヒトラー映画

本庄豊さん(立命館宇治中学校)

テスト返しを15分ほどで済ませて、残りの時間で映画を見せるようにしています。最近はヒトラー関係の映画を見せています。

『帰ってきたヒトラー』(ドイツ、2012年)

自殺寸前のヒトラーが現代ベルリンにタイムスリップし、コメディアンとしてテレビ出演することで、大衆の支持を獲得していく様子を描く風刺映画。現代社会がある条件が重なれば、ヒトラーを受け入れてしまう危険性がよく伝わってきます。ネオナチや移民排斥に対する批判も盛り込まれていて、見応えがあります。

『ヒトラーの忘れもの』(独・デンマーク、2015年)

史実にもとづき、大戦後のデンマークに地雷撤去のために送られたドイツ兵が描かれます。地雷撤去を強要された2000人以上のドイツ兵のうち約半数が命を落としたり手足を失ったりしたといわれています。ほとんどが地雷除去シーンで息が詰まります。生徒たちには重い作品ですが、戦争とは何か考えさせてくれます。

『ヒトラー最後の12日間』(独・伊・墺、2004年)

ソ連侵攻で陥落寸前のドイツ。ベルリンの防空壕に避難したヒトラーやナチス高官たちの最後の12日間の様子を、ヒトラーの秘書の目から描いています。画面では、ヒトラーは狂人のようにも情け深い人のようにもなります。また打算に満ちた高官もいますが、ヒトラーに忠誠を尽くす高官もいます。生徒たちにとっては、日本の権力者を風刺する動画版として知られています。ネット動画はとても面白いので、はまってしまう生徒が多く出ました。

戦争学習や授業づくりのヒントになるかも

辻健司さん(中学校教員)

最近の本から、戦争学習や社会科の授業づくりにヒントになるかも知れない知見を紹介します。

☆『なぜ歴史を学ぶのか』リン・ハント著、長谷川貴彦訳、岩波書店、2019年刊より

2章 歴史における真実(p.27

歴史的真実を確定することは、決定的に重要である。それがなければ、政治家の嘘やホロコースト否認論者に対抗することができない。記念碑や教科書をめぐる論争は、決して解決されることはないだろう。記憶戦争は、漠然としたかたちで続くことになるだろう。一般の人びとは提示される歴史に関して確信をもてなくなるだろう。歴史的真実は二層構造になっている。第一の段階では事実が問題となり、第二の段階では解釈が問題となる。議論する目的でそれらを分離することは可能だが、現実の歴史実践のなかでは、ふたつは相互に結びついている。事実というものは、意味を与える解釈に組み込まなければ、動き出すものではない。そして解釈のもつ影響力は、事実に意味を与える力を基盤としている。

☆『世界史との対話』(上)小川幸司著、地歴社、2017年刊より

「はじめに」p.56

私の世界史講義で心がけていることを述べておきたい。

まず何といっても、世界史の「知」の三層構造が見えるようにするということだ。第一の基層には、何年にどのようなことが起こったかという「事件・事実」の列挙がある。これは動かせない事実である。第二に、その事件・事実を前にして、どのような歴史の論理がよみとれるかという「解釈」の層がある。これは見る人によって当然ながら異なる見解が出て来よう。しかし、“事実立脚性”と“論理整合性”において、私の解釈する論理が今のところ最も適切な論理なのではないかというふうに提示し、聞き手からの反証(対話)にさらされればよいのである。反証はさらされるように提示することが、世界史が「人文科学」たりうる要件である。

(中略)

高校の世界史教育には以上に加えて、第三層が必要であると、私は考えている。それは、歴史を素材にして人間のありかたや政治のありかた、ひいては自分の生き方について「歴史批評」をおこなうという「知」のいとなみである。今日のこの授業で学んだ「事実」と「解釈」が、自分自身にとってどのような意味があるのかということを問うのである。ときにはそれは哲学であり、文学でもありうる。(中略)「歴史批評」が劣悪な妄想に陥らないためには、第一層と第二層において「人文科学」のルールを外さないような地道な努力をすればよいのである。

⇒上のような考え方を生かしてみると-

・事実の層→ここを工夫する、価値観(イデオロギー)から距離を置ける。

・解釈の層→ここは、生徒の判断や意見形成を促す、教師の解釈を押しつけないように。

《例》

・戦争学習…教科書記述で足りない事実を補う(国家の意思決定、戦費、戦場での実情、軍隊、武器、メディアや教育、終戦に向けた動き、戦争責任の所在など)

・基地問題…経費、武器、訓練、出撃先、基地内の生活

・原発…反原発をいわなくても、事実の積み重ねで授業を展開する。

・徴用工問題…韓国の態度がどうこうではなく、徴用工とは何だったのか、事実の学習をていねいに進める。