藤原辰史さん講演会 質疑応答&感想

食糧自給の問題をどう考えればいいでしょうか?

藤原さん

自給率の数字をどう上げるかという議論の前に、食糧自給率が高い国とは一体どういう国なのかという議論からしないといけないと思います。経済福祉政策全体の中で「食」を見ていくことが大事です。いま日本の現状を見ると、大災害が毎年のように多発していますね。災害が多い国では、つねに緊急時でも食料が行きわたっている状況にしておかないといけません。一方でまた、日本の食料はアメリカなど食料大国に依存しすぎています。そういう状況のもとで、外交関係が悪化したり、経済封鎖をされたり、食糧危機がおこるようなことがあればどうなるでしょうか。食糧危機のとき、為政者は何よりもまず自国を優先に考えます。自国の住民が飢えているのに、他国に食糧を輸出する国というのはほぼあり得ません。いずれにしても食べていけるだけの食料を確保するのが政府の役割でしょう。だから食料問題は危機管理の問題でもあり、防衛問題とも関連します。防衛というと、防衛省や外務省の問題だというのは問題のすり替えになります。

中高生のとき社会科で印象に残っていることは、どんなことですか?

藤原さん

中学の頃に社会科が好きになりました。覚えれば覚えるほど、点数がれる、楽しいなぁと思いました。高1の時の世界史の先生が、黒板の書き方のすごい上手な先生で、板書を写すと整理されて頭に入ってきました。そして、誰にも見せない、自分のためのノートを作るようになりました。定規やカラーペンを使って、美しいノート作りに没頭したくらいです。ノート作りが私にとっての世界史、日本史の勉強でした。

司会;学校現場から来ておられる先生方にお聞きします。日頃の授業で、こんな悩みがあるとか、こんな工夫をしているとか、お話ししていただけませんか?

ある工業高校の先生

世界史を教えています。『トラクターの世界史』と『給食の歴史』、本の題名だけで選んで買いました。あとから同じ人が書いていると知って、びっくりしました。世界史Aを担当していますが、厳選していかないといけませんが、板書が多すぎて生徒からブーイングが来る毎日です。アクティヴ・ラーニングで考えさせたいとも思っています。揺れ動いています。こちらから資料を投げかけて、当時の人々の気持ちにさせたいと思っていますが、生徒に伝わっているか…。いまはナチスの行為は犯罪的だとみていますが、当時の人々はどう思っていたのでしょうか。

ある高校の先生

ナチスの授業をする際には、「生命の泉(レーベンスボルン)」についても取り上げる必要があるのではないでしょうか?

(註;レーベンスボルンLebensbornとはナチスがドイツ民族の人口増加と「純血性」の確保を目的として設立した施設。ユダヤ人絶滅の強制収容所と対照をなす。)

藤原さん

大学のときの友人で、すごい卒論を書いた人がいました。彼はその後ある新聞社に就職しましたが、その彼が言っていたのは「大学の教員なんてつまんない。大学4年のぼくがいまだに尊敬しているのは高校の先生だ。高校の先生は人類4千年の歴史を語れるけれど、たとえば大学の歴史の先生は自分の専門領域の歴史しか語れないだろう」とか言っていたのを思い出しました。日頃現場でがんばっておられる先生方には、私は、いくぶんの嫉妬(笑)もこめて敬意を表しております。

 

「生命の泉」のお話、実はたいへん重要です。私は大学の教師として、現代史概説の講義をしております。その時、私が自分に命じていることの一つは、何らかの悲劇を、一つの表現にもっていかせないということです。ナチス・ユダヤ人・アウシュヴィッツ、この3つでナチスはだいたい語れる。それさえ言えばナチスの悲劇を人々に喚起できてきたわけですが、でもそういう時代は終わりつつあります。

 

アウシュヴィッツはポーランドにあって、元々はドイツの大企業が工場を建てた土地、そこに最初の小さな収容所があって、それがだんだん大きくなった。そして収容所に来た囚人たちを使って工場で働かせた。賃金ゼロの労働力を使うという発想がそこから生まれたのです。出来るだけ安い労働力を用いようとしたのは、満洲国でも同じです。

 

あの時代の東ヨーロッパや中央ヨーロッパの悲惨さは過小に評価されすぎだったのではないか、という動きが歴史学界の中で見られます。ナチスが来て占領され、そのあとソ連に占領された。双方から弾圧や暴力を受けています。私の好きな本で、マリーナ・レヴィツカの『ウクライナ語版トラクター小史』(邦訳=青木純子訳、集英社文庫)という小説があって、これはウクライナのトラクター技師の記録をもとに書かれた小説で、まさにウクライナという場所がナチスにもソ連にも占領された悲劇を描きました。そういうことを考えると、実はもう「ドイツ=ナチス=ヒトラー=人類最大の悲劇」というような単純な図式は終わっていて、ドイツ、ポーランド、チェコ・スロヴァキア、ギリシア、ベラルーシ、スターリン、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人・・・というふうに考えて行く-そういう立体像が必要になってきます。

 

一つに悲劇を集約させないことが重要です。広島、長崎だけではなく、そこに別の事件を付け加える。たとえば、最初に核実験のあったネバダ州のグランドゼロ、そのあと広島、長崎、そしてビキニ環礁の水爆実験、チェルノブイリ、福島という流れで、広島と長崎を見つめる。日本国内だけではなく、それ以外の国の多くの人々が核実験やで被爆して苦しんでいます。あるいは、ヒロシマ・ナガサキに加えて、ゲルニカ、ドレスデン、そして重慶を加える。空からの暴力として考える。日本軍が重慶で絨毯爆撃をした。東京や大阪などでされたのと同じようなことをしていた。東京・大阪・重慶といった形で、学生を喚起することも重要でしょう。

先ほどの世界史Aの話ですが、ナチスというとヒトラーをまず注目してしまいますが、当時ドイツには6000万人の人々がいたので、そういう市井の歴史も考えなければなりません。いまの歴史学も政治史だけではなく社会史や民衆史の視点をもっと大事にしようという流れがあります。そこで私が考えるのは、取り上げるに値しないと思われるようなすごく普通の証言を大事にしたいということです。たとえば、ナチス時代を研究していると、「今日は海に行ってお気に入りの水着で泳いだ、そして食事をした」というような、全然ナチスのことは出て来ない証言(いうまでもなく、ナチス時代でも人びとは海水浴やファッションを楽しんでいました)。でも実はこれこそがナチスの重要な一場面なのです。何かというと、おそらくかなりの人々がナチスに対して無関心だったということです。ナチスが出てこようが、共産主義者が虐殺されようが、精神障がい者が断種されようが、自分には関係ないと思っている人たちによって支えられてきた。ナチスに賛同していた人々がいっぱいいたのは間違いないが、少なからぬ人たちはアパシー、つまり無関心状態だった。これが重要だったのです。

 

学生たちに歴史の震央部に触れてもらうために私が最近始めた試みは、戦争体験者の方を呼ぶことです。私がしゃべっているよりも、学生たちの目が輝きます。朝鮮半島で幼少期を過ごし、命からがら三十八度線を突破して、日本に戻ってきた今西儀夫さんに一度きていただいたことがあります。今西さんは「戦争体験を語り継ぐ会」という会を組織して、若い世代に戦争の体験を伝えるためのシンポジウムなどを企画されておられます。私も何度もお話をさせていただきました。

そしてまた、どうやってその時代のリアリティを伝えるかという問題ですが、私はやはり『1984年』の話をします。J.オーウェルの小説です。監視社会とはどんな社会かと考えます。たとえば、この中にスパイがいて、警察に藤原がこんなことをしゃべっていたと通報するような社会が監視社会です。ビデオカメラがあるだけではなくて、私の心の中に「きっとこの中にスパイがいるに違いない」-と、今思っていないですよ(笑)-と思わせる社会が監視社会です。こういう社会がファシズムなのですと伝えます。J.オーウェルはテレビがあなたを監視していると言いました。「○○万歳」と言っている言葉に少し気合いが入っていないと、それがチェックされて中央に伝えられるというスターリニズムの社会を描いたのですが、これはあなた方と関係ない時代のことですねと話したあとに、さて、携帯電話の話をしようかともっていきます。

 

「携帯にカメラが付いているけど、これが遠隔操作できるって知ってる?」「だれが操作しているのか、知ってる?」と聞きます。スノーデン事件で明らかになったのは、アメリカの情報当局は、グーグルやFBやツイッターなどの情報を自由に収集できて、危険な人物を探り当て、場合によってはその人の携帯のカメラを起動させてその人の弱味をつかんでいることでした。そんな話をします。だから携帯を持っていることで、24時間監視されているという状況-これはディストピア(反ユートピア)ではなく、すでに私たちの世界だね。という形で教えています。ただ、最近は携帯に監視されているといってもあまり驚きません。スマホが発達しすぎて、自分たちを全世界に発信することに慣れすぎていて、もう自分を晒すことが普通になっている学生も多いのです。だから、歴史を教える私たちのような人間は、徹頭徹尾、現状から離れてはならない。監視が当たり前の生徒や学生たちにも届くような言葉を使って、ナチズムやスターリニズムのことを教えなくてはならないのです。

藤原辰史さん講演会/感想文

「掲載可」とされたもののみ以下に紹介します。

村尾孝さん「戦中の一農学徒として」

藤原先生のご講演やお話をいつも心地よく聞いております。レジュメの最後4の(4)「今はたとえ実現しなくとも理想の社会とは何かを考えておくと勉強が楽しくなる」の結びにさもありなんと感動しました。

わが90年を振りかえると、“何んにもなかった戦後”理想の社会がくるように思えましたが、“何んでもある”ようになって、理想の社会が遠くなっていくように思います。ですが、“明日ある”を信じて、生きていける幸せを失っていません。それが戦争で生き残った者のつとめと思っています。

板倉威一郎さん

藤原辰史さんの本で最初に読んだのが『カブラの冬』。衝撃的でした。以来、一度お話を聴いてみたいと思っておりました。

殺すための科学・技術が生きるための農業に密接に関連しているということは皮肉で、私たちは生きていくために何からどうやって命を得ているのか、もっと見つめていく必要性を感じました。

「食べること」をリアルに見たとき、安価で短時間で満腹になったり栄養も摂取できるという食さえ提供されればよいという状況はいかに問題があるのか分かります。しかし、日本の社会保障に対する多くの国民の考え方は非常に冷たい。それが一つは日本の教育が食べものや食べることをリアルにとらえてこず、「プライマリーバランス」がどうとか、自分と社会を切りはなした議論に終始してたからなのかもしれません。

そう考えると、2022年から始まる「公共」において、「A公共の扉」で判断の手がかりとなる考え方は「動機・義務論vs帰結主義・功利主義」みたいな空理空論ではなく、現実に対する「想像力」、全体像を構想する力、だと思いました。ハッと気づかされた気持ちです。2022年までに私なりに授業構想を考えようと思います。

うちには17ヶ月の息子がいます。藤原さんの今日の話で、もっとわいわいしてよいとのことだったので、一緒に来たらよかったと思っています。「食う、出す、遊ぶ、寝る」ができたら赤ちゃんは大丈夫と育児番組でやっていました。社会科のテー-マもそれであるべきだと思いました。ありがとうございました。

金田吉孝さん

現在、高校で世界史を教えていますが、なかなか教科書に書いてあることを伝えるだけで精一杯の状況です。トラクターが戦車の開発に影響したことは知識としては知っていましたが、農業技術と戦争の関連という大きな問題につながることには、思い至らなかったことでした。歴史を教える、現代を生きる上で歴史がどのように意味があるのかを考える上で、今回の講演はとても興味深いものでした。また、以前「日本文化」という授業(年間)を担当したことがありましたが、前任者がカリキュラムに、田植え・稲刈り・つくった米の調理実習を含めていたことは、食べること・つくることが文化の根底にあること、それを伝えることの重要性を、その先生が理解されていたのだと、今回の講演で改めて気づかされました。

まだまだ、余りにダイナミックな話ばかりなので、正直消化不良なところもありますが、何とか今日自分が感じた高揚感を生徒に少しでも伝えられるようにしたいと思います。今日は、ありがとうございました。

土屋憧真さん「なぜ藤原先生の話はひきこまれるのか」

日ごろ、京大で藤原先生の講義を受けている学生の者です。藤原先生の話は外の先生とは違い、話がいろいろなところに流れ、まとまりがないように感じられるけど、最後になるとうまくまとまっている、とても不思議な感じがします。さまざまなテーマが根底でつながっているという新たな視点や、さりげなく深い問いを投げかけたり、先生自身の思想や正しさを訴えかけるこの語りだからこそ、聞いていてもとても心地がいいのだろうなと思います。そのような話ができる先生は、京大の中でもなかなか巡り合えません。今後も先生のお話を楽しみにしています。ありがとうございました。

渋谷清孝さん「食と農の連携を!」

私は元・京都美山の農芸高校の農業科の教師です。栽培と食品製造を教えていました。現在、ブルーベリー園の経営と野菜の栽培をしています。その中で漠然と思っていたことが整理され、感動しました。食・農は考えても、戦争とのつながりまでは考えませんでしたが、それぞれ別のことだと思っていたことがつながりました。デュ-イもフレーベルも食や農が子どもたちにいかに大切かを理論的にも実践的にも考えていたことを初めて知りました。

私は全国農業研究会に属しています。そこで、食育ではなく、食「農」教育を提唱しています。みなさんが安全でおいしいものを食べることから、農のあり方を考えてもらいたいと思いますが、その思いに先生の講演はピッタリでした。食料自給率を上げるためにどうしたらよいか。それはどういう社会(地域)にしたいかということから考えることが大事だとおっしゃったことも印象に残りました。

岡本幸男さん

会場に入ったら、大学の講義室のような感じ。ひさしぶりに“大学の先生の講義を聞く・学ぶ”という構えになりました。背中がシャン!とした。チラシに誘われてひやかし気分で来たのですが…。

『戦争法』で知った京大の先生がどんなお話をされるのかという興味・関心で参加しました。講演の内容もさることながら、その後の質疑応答・コメントが興味深く、夢中になって聞いていました。食・農・戦争の関連で、ナチスのことに、満州国のことにちょっと勉強しようと思いました。(気持ちだけかな?)本日は、関係者の方々、ありがとうございました。

西山厚人さん

備忘録として、はっとさせられたことをいくつか書きとめておきます。

・「食」と「農業」を分けて考えない。

・理想の社会がみつかると勉強が楽しくなる。

皮肉にも軍事がきっかけでできたものが私たちの生活を豊かにしていること、またその豊かさが危険と隣りあわせだということが印象に残りました。

社会科の授業では、どうしても暗い過去、歪んだ現状にふれなければなりません。講演をきき、生徒に希望を与えられているか考えさせられました。課題をのりこえた未来をえがける、そんな授業作りをしていきたいと感じました。

堀田一希さん

一理系大学生として、技術というものを学んでいる身として、なんとも皮肉な話しではありますが、生きる技術と殺す技術が表裏一体の関係であることは良く知っていた。しかし、食と戦争における関係については、私は特に考えたことがなく、そこまで関係があるものとも考えていなかった。確かに、私の知識として、弥生時代には農耕という概念が生まれたことによって、クニの間で食料を得るために戦いがあったということは知ってはいたものの、それを現代に写したときに、表層としては、食料のために争うというのはいささか非現実に見えていたというのが原因かも知れないと思う。しかし、ナチスの飢餓計画などを関連させて見ると、意外ながらも関係しているのだと驚いた部分もあった。

岡本和男さん

今日の講演の切り口は、戦争と農業のかかわり、食の大切さが中心でしたが、内容は死や生きることにつながるものだと思いました。副題に「社会科から考える」が付けられていますが、社会科とは何か、生徒にどのように興味を持たせて、自分の頭を働かせていけばいいのかを考えるヒントがいっぱいありました。物事を深く考えることの大切さと表面的な現象に一喜一憂しないスタンスが必要だと思いました。この様な企画をありがとうございました。

舘明子さん「食・農・戦争…」

藤原先生の本は読んだことがないのですが、『ナチスのキッチン』は私の関心事につながってそうなタイトルで、きっと講演も興味深いだろうと思い、参加させていただきました。期待以上予想以上に興味深い内容でした。

デュ-イは名前だけは知っていましたが、学校について社会について土、食について、このような思想を持っているとは全く知らず、これからデュ-イのことを知りたい学びたいと思いました。

遺伝子組み換え表示は新たな局面を迎えていて、完ぺきな表示(現在は5%が許要*)を求められるようになり、逆に表示ができなくなります。詳細は鈴木宣弘東大教授が御存知です。

〈*のところ…こう書いてありました。HP作成者、注〉

ある高校の先生「高校教員として~思うこと~」

ヒトラーが自殺した1945430日深夜330分(?)、自殺したのを確認した部下はすぐにタバコをすいはじめた。初めは、単にヒトラーが「禁煙」を強要していたために、ヒトラーが居なくなったので呪縛から解かれて、その結果喫煙したにすぎないエピソードとして受け止めていただけであったが、実はナチズムのイデオローグとして(「健康帝国ナチス」)ナチズムをまさに代表したナチズムがヒトラーの死によって崩壊したために吸ったのではないか。藤原辰史先生の講演を聴きながら感じたことでした。ナチズムのスローガンの「血と土」の見方が複合的になったと感じます。

ナチスは「自給自足(アウタルキー)経済」を志向したとあります。外貨の減少を防ぐためだったのだろうか?やはり第一次世界大戦のドイツの飢餓なしには理解できないことですね。高校世界史では、無制限潜水艦作戦云々はのべても、地中海大西洋の海上封鎖による食糧不足はあまり述べられていないと思います。飢餓が示す世界史的意味は大変大きいと思います。

生と死、農薬と毒ガス、トラクターと戦車、相反するものが同一軸となる面白さを実感する講義でしたね。今、私は授業中に「ユダヤ人の最終的解決」ホロコーストを必ずとりあげ、アウシュビッツ収容所は必ず触れます。まさに「死」の側面として。そしてゆがんだ「生」の側面として、アーリア人の純血性を保つための「生命の泉」の事実も対比させてのべています。一方で、IGファルベンのチクロンBで劣等人種とされている人々が殺され、それと同時に「生命の泉」で赤ちゃんがとりあげられている。おそろしいことですね。

ナチスドイツとソ連の共産主義とは相反するものと思いきや、ソ連が「集団化」をすすめるにあたってトラクターに着目していたとのこと。歴史の見方がステレオタイプにとられるのではなく、ちがう見方もできることが面白いですね。

今回の講義での気づき←こんなことを授業で紹介してみたいですね。

食・農を通して複眼的な歴史の見方ができるようになる。

    トラクターがつなぐナチスと共産主義

    アウシュビッツ(死)と生命の泉(ゆがんだ生)によるナチスの罪悪性

    「飢餓」がもたらす戦争の遠因

    「血と土」にみるナチスのスローガンの奥深さ

大変面白い講義でした。

京大の人文科学研で高校生対象のセミナーをしていましたね。今年は「ざんごうの世界史」だったと思います。来年こそ藤原先生の「食・農の世界史」を開講してほしいですね。

 「農」と「食」を支える最も大切な「水」。21世紀は「水」をとりまく争いも増えることが危惧されている。「水」の視点も今後の研究フィールドに加えていただくと更に面白くなると思います。「ゴラン高原」を丸暗記させるだけで今の高校生は終わっていますので…